
真の成長に向けた「育て方」「勝ち方」の変革元バレーボール女子日本代表・益子直美氏×PwC・佐々木亮輔
社会やビジネス環境が急激に変化する中、持続的な成長が可能な組織へと変革を遂げるには、何が必要なのでしょうか。元バレーボール女子日本代表で、現在は一般社団法人「監督が怒ってはいけない大会」の代表理事としてスポーツ界の意識改革に取り組む益子直美氏と、PwC JapanグループでCPCOとして企業文化の醸成をリードする佐々木亮輔が変革実現へのカギを語り合いました。(外部サイト)
東京大学大学院
経済学研究科教授
柳川 範之氏
PwC Japanグループ マネージング
パートナー
出澤 尚
社会人が自身のキャリアを自発的に見直し、人生の節目でスキルを再構築する重要性がさらに高まっています。背景にあるのは、学び直し(リスキリング)が人生のセーフティーネットとしての備えになり、インクルーシブな社会の実現にも寄与するという考え方です。“人生100年”の時代に、企業と個人は互いにどう向き合うべきなのでしょうか。
今回は「40歳定年制」を提唱したことでも知られる柳川範之・東京大学教授をお迎えしました。PwC Japanグループ マネージングパートナーとして人事部門を所管する出澤尚とともに、激変する社会・経済にあってキャリアに対する「個人の心構え」と、そこで学び直した人に選ばれるための「組織のあり方」について、議論を交わしました。
出澤:
柳川先生は2012年に政府会議の報告書で40歳定年制による雇用の流動化という改革案を提言され、大きな話題となりました。まず、そのお考えの背景からお伺いしたいと思います。「学び直し」に対する社会のとらえ方が、その後の10年間でどう変化したとご覧になっているかについてもお聞かせください。
柳川:
人生100年時代といわれる今、人が社会で活躍できる期間も長くなりました。一方で、技術革新が加速し、働き方はめまぐるしく変化しています。人が働き続ける間に、仕事の環境や求められる能力も大きく変わります。そこで、「長く活躍し続けるには環境の変化に適応するための能力開発が不可欠。その機会は40歳前後が適当であろう」という意味を込めて提案しました。ただ、40歳定年制というネーミングばかりが脚光を浴びたきらいもあり、「70歳を超えても活躍し続けるため」という真意が当時はなかなか伝わりませんでしたね。最近ようやく、リカレント教育やリスキリングなど学び直しの大切さが真剣に議論されるようになり、国も政策的な後押しに着手し始めたという状況です。
出澤:
今般のコロナ禍は、働き方にもパラダイムシフトをもたらしました。人々の仕事観にも影響し、学び直しの機運を高めた面もあったのではないでしょうか。
柳川:
3つの点で人々の仕事観が変わり、学び直しへの志向が強まったと考えています。第一は「リモートワークの普及」です。通勤せずとも働けることを多くの人が経験し、柔軟で多様な働き方が可能なのだと認識した影響は大きかったと思います。第二は「ワークライフバランス意識の高まり」です。在宅勤務が増えたことで、家族や仲間と一緒に過ごすプライベートな時間を重視する人が増え、住まいを都会から郊外など自然豊かな場所に移す動きが生まれました。第三は「技術革新の実感」です。コロナ禍を通じ、デジタル化の必要とその実効を痛感した人は多く、それをきっかけに、学び直しの重要性をわが事として再認識した人が急増したと推察します。
出澤:
柳川先生が40歳定年制を提唱なさった10年前と比べ、スキルの見直しの大切さを自覚した人は間違いなく増えたと思われます。ただ、「自分がどの分野でリスキリングすればよいのか分からない」という人は多く、また、学び直しを目的に40歳で会社を辞めて学校に通うとなると相当な覚悟が必要ですし、企業もそれは困るわけです。企業としては、個人のリスキリングをどうやって促せばよいのでしょうか。
柳川:
リスキリングには狭義と広義があります。狭義では「企業による、特定の事業に関する従業員の職業訓練」を意味し、広義では「ビジネスパーソン個人による、自分自身の能力開発」を意味します。
従来主流だったリスキリングは狭義に属し、会社が求めるスキルを従業員に身に付けさせるものでした。つまり「企業(組織)が主語」のリスキリングです。しかし今後重要になるのは広義のほう、「個人が主語」のリスキリングです。ビジネスパーソンは自ら「何を学びたいか、学ぶべきか」を考えなければなりません。
同時に、組織にも発想の転換が求められます。「個人が主語」のリスキリングは、企業にとって不都合な面もあるからです。従業員が「自分は何をしたいのか、何をすべきなのか」を1人の人間として改めて考えるようになると、その視野は広く社外にまで及びます。社員の意識や思考が会社組織の内部にフォーカスされていた状況に揺らぎが生じ、組織に従順ならざる「使いにくい人材」が増えるかもしれない──そんな心配は確かにあるでしょう。が、たとえそのような不都合があるとしても、日本企業が生き抜くには「使いにくい人材=自立した人材」を育てなければならないのです。
理由は2つ。1つは「イノベーションを起こす」ためです。技術革新を生み出す、新規事業を立ち上げる、組織に変革をもたらす──これらは自分の頭で考えることが身に付いた自立した個人だけがなし得ることです。もう1つは「終身雇用の限界に適応する」ためです。戦後長く、日本企業で働く従業員は、会社の方針の下で勤め上げれば老後の安心が保障され、企業もそれを前提に人事を動かしてきました。しかし現在、この制度はいよいよ壁に突き当たり、昨今はジョブ型の雇用システムに転換する企業も増えています。
これらを考えると、会社に依存せずに人生を設計できる自立した人材を育てることは、企業の持続的な成長にとってもプラスに働くはずです。ただしおっしゃるように、どの分野でリスキリングしたらよいのか分からないという点は課題です。MBAや弁護士・会計士などの高度な資格の取得は別として、大学などで学び直してもその先にどのようなキャリアパスがあるのかは、見えにくいのが実情です。求められているのは、次のステップアップにつながり、キャリアパスを明確に描けるような具体的なプログラムであり、そうしたプログラムを政策的にも整える必要があります。ただしそれが座学である必要は必ずしもなく、出向や副業あるいは兼業といった形で、実務を通じてリスキリングする機会を意図的に設けることでもよいはずです。
出澤:
企業と個人の関係性にも大きな変化が生じそうですね。リスキリングや個人の自立という動きは、企業にとっては人材流出につながる遠心力にもなり得ます。すると、その遠心力に拮抗(きっこう)するような力、自社に人材をつなぎ留め、あるいは外部から呼び込むような求心力が必要になります。従業員にも外部の人材にも、リスキリング後に「この企業で働きたい」と思ってもらえる「選ばれる組織」であることの条件は何でしょうか。
柳川:
従業員が「会社から大事にされている」と実感できるか否かがポイントです。ただしその要件は昔と今とで異なります。かつては給料やポストが重要でしたが、価値観が多様化した現在は、各人のライフスタイルに合った働き方が認められることのほうが、より「大事にされている」という実感につながるでしょう。
逆説的な言い方ですが、出澤さんがご指摘になった遠心力こそ、組織の求心力の源泉だと私は考えます。例えば日本のプロ野球界をイメージしてみてください。主力選手によるメジャーリーグへの勇気ある挑戦を球団側がよしとしない時代がかつてはありました。しかし現在、有力選手のメジャーリーグ移籍は珍しくなくなりました。メジャーに挑戦したい選手を快く送り出す球団と、そうでない球団のどちらに前途有為な選手が集まるかといえば、もちろん前者に決まっています。価値観の多様化がさらに進むであろうこれからは、人材が社外に出ても活躍できる環境を整えること、それこそが優秀な人材を呼び込む力になるのです。
出澤:
言い換えれば、これまで企業側が独占的に持っていた働き方の選択肢を、いかに個人に手渡せるかが問われているということですね。
社会課題の多様化・複雑化が加速する今、「ダイバーシティー=人材の多様性の確保」は企業の生命線とされます。それは私たちPwCも例外ではありません。しかも、働き方や考え方、志向や専門性などが異なる人材の数がただそろっているだけでは意味がなく、「インクルージョン=多様な個の力を束ねて課題解決に役立てる」ことが問われています。現在PwCのマネジメントも、そこを一生懸命に考えています。そこで重要となるのがパーパスですが、その点についてお考えをお聞かせください。
柳川:
社内に一定の均質性が保たれていた時代、自社が目指すべき方向は共有されやすかったといえます。しかし現在、人材の多様化が推し進められるなかで、それは共有されにくくなりました。経営トップにパーパスの明確な発信が求められるゆえんです。
ここで一考すべきなのが、「組織のパーパス」と「個人のパーパス」の不一致というケースです。
パーパスに共鳴した人たちがその企業に集まる。一方、「この会社のパーパスは自分のパーパスと違う」と感じた人はパーパスが一致する別の企業に移る。これがパーパス経営の本来あるべき姿です。しかし日本社会は雇用の流動性が低く、従業員が「刷新された新たなパーパスに共感できないので会社を辞めたい」と考えても、そう簡単には通用しません。ならば、従業員と会社を隔てる「パーパスのズレ」を解消する必要があります。
解消策は2つに集約できます。1つはトップダウン型。経営者が肉声で自身のパーパスを発信し続け、組織内に賛意を醸成する。もう1つはボトムアップ型。従業員が考えているパーパスをくみ上げ、全体のパーパスという形に昇華させる。現場の声を全社で共有するわけです。今の日本企業には、後者のプロセスが不足しているのかもしれません。
出澤:
パーパスの発信には、社会課題が複雑化・多様化するなかで、他企業に連携や共創を呼びかける意味もあろうかと思います。例えば脱炭素に関しても、自社だけでできることには限界があり、サプライチェーンやバリューチェーンにおける協力関係があって初めて実現できることです。「PwCって何をする企業なんですか?」という問いへの答えを世の中に示すことでコミュニティーをつくっていけると思うんです。
PwCが掲げるグローバル成長戦略「The New Equation」のなかには、「Community of solvers」というキーワードがあります。多様化・複雑化が進む企業の課題を解決するために、多岐にわたる分野の多様なプロフェッショナルがそれぞれの専門性を生かし、連携して挑んでいくというもので、これにも、外部との連携を目指すコンセプトが含まれています。
柳川:
ご指摘の通り、課題解決に向けて仲間を増やすため、目指すべき方向性を企業間で一致させるためにも、パーパスの重要性がさらに高まっています。
出澤:
ここまで主に組織側の視点からお話を伺ってきました。対して、個人はどのような姿勢で自身のキャリア再構築に臨むべきなのでしょうか。「どこから手を付けたらいいのか分からない」という声も多く聞かれます。学び直しを成功させるためにはセンスが要るのではと考えているのですが、そうしたセンスはどう磨けばよいでしょうか。
柳川:
まず前提として、「一生を通じて会社に頼る時代は終わった」という現実を直視することが必要です。会社に依存したまま、組織に指図されてのキャリア形成では、長い人生を通して活躍を続けるのは難しいでしょう。自分なりに将来設計を立て、その実現のために学び直すのだ、という視点を持つことが大切です。
学び直しのセンスを磨くポイントは2つあります。
1つは「とにかくいろいろな経験をする」ことです。社会が求めているスキルや、どんな仕事が自分に合っているかを感じ取るセンスは、一定の経験が基盤になって磨かれるものだからです。
もう1つは「大きく踏み出すのではなく、少しずつ前に進む」ことです。学び直しというと、会社を辞めて学校に通うなどと、どうしても清水の舞台から飛び降りるような発想になりがちです。そんなふうに大上段に構えることは避け、身辺の変化をできるだけ小さくとどめて、ダメだと思ったらすぐ引き返すくらいの気持ちで臨めばよいのです。たとえ途中で道を折り返したとしても、そのこと自体が間違いなく貴重な経験の1つになります。
例えば、毎日5分・10分、日常的に少しずつスキルを見直すような能力開発を私はお勧めします。通勤時間を利用して関心ある分野の本を読むだけでも立派な学び直しです。最近は民間や官庁が提供するリスキリングのためのオンライン講座が充実しています。それらを上手に利用するのも1つの手でしょう。失職のリスクを回避しながら、副業や兼業を通して経験を積むのも有力な選択肢です。
出澤:
無理のない範囲で経験を積み、着実に学び続けることが、結果的にリスキリングのセンスを磨き、望ましいスキルに到達する近道になる、ということですね。
柳川:
はい。ただしそこで大切なのは、「1つの場所にこだわりすぎない」という姿勢です。変化の激しい時代ですから、「この分野だ!」「これだ!」とある時点で思っても、3年後に本人の考え方が変わっていることは十分あり得ます。仕事を取り巻く環境も刻々と変わり続けます。
日本社会には「1つのことに集中し続け、諦めない」ことを美徳とする考え方が根強くあります。確かに、事をなすにはその考え方も大切ですが、それを強調しすぎるのは望ましいことではありません。かつて宝が埋まっていた鉱脈、しかし実はもう掘り尽くされて何も埋蔵されていない地点を、ただやみくもに掘り続ける、ということにもなりかねないのです。環境の変化に合わせて、掘る場所を柔軟に変えることも、個人の心構えとして大切です。
そしてそれは組織レベルでも同様です。以前のように人口が右肩上がりに増え、経済も成長を維持し消費のパイが拡大し続けていた時代であれば、欧米の先進国に見習うことで宝を手に入れられたかもしれません。しかし今、私たちは人口縮小に直面しており、成熟に達した日本経済にはかつてのような成功の手本はないのです。とにかく、試しにあちこち掘ってみて、宝がありそうな場所にリソースを集中する──そんな戦略が求められるのではないでしょうか。
出澤:
よく分かります。高度経済成長期には継続が成長につながった。しかし現在、技術革新に伴う諸変化が速まり経営環境も就労環境も大きく変動しつつあるなかで、単なる継続はベストプラクティスになり得ない──柳川先生のこのご見解、私も同感です。
仕事に対する姿勢を考える際、私自身はいつも「相談される人になろう」と心がけ、周囲にもそのように伝えています。何か解決すべきテーマを抱えた人がいたときに、「この人に相談したら、テーマそのものの答えは持っていないかもしれないが、何か答えてくれそう」と思われる人になる。そういう関係性を社内外問わず広く持っている人は、必然的に多様で幅広いテーマに触れ、世界観を広げていくことになります。もちろん、専門性を持つことは重要ですが、だからこそ「専門外のことも相談される人になろう」と、これからも発信していきたいと思います。
一人ひとりが、幅広いテーマに関心を持ち、視野を広げ、視座を高めて、視点を増やす。それにより社内のメンバー同士の連携がしやすくなり、社外のクライアントやステークホルダーからもご相談をいただける。柳川先生のお話を伺い、プロフェッショナルサービスファームとしての心構えについても改めて認識させられました。
中学卒業後、父親の転勤に伴ってブラジルに移住し、現地では高校へ行かず独学生活を送る。日本の大学入学資格検定(現・高等学校卒業程度認定試験)合格を経て慶応義塾大学経済学部通信教育課程へ入学し、シンガポールで通信教育を受けながら独学生活を継続。その後、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了、博士号取得。2011年から現職。政府系会議・審議会の委員なども歴任する。主な著書は『法と企業行動の経済分析』『日本成長戦略 40歳定年制』『東大教授が教える独学勉強法』。
監査法人において約30年間に及ぶ業務経験を有し、金融機関を含む多くの国内・海外企業の会計監査およびアドバイザリー業務に従事。PwCあらた有限責任監査法人において金融監査部門や財務報告アドバイザリー部門の責任者を歴任し、2014年7月から執行役に就任。2020年からPwC Japan合同会社の執行役副代表に就任。
※ 法人名、役職、本文の内容などは掲載当時のものです。
参考
※「40年定年制」について言及されているフロンティア分科会の報告書https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/npu/policy04/archive06.html
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/npu/policy09/pdf/20120706/hokoku1.pdf