本稿では「サステナブル経営(ESG対応)における企業活動と『人権』の尊重」について、今号と次号(2022年1月号)の2回に分けて解説していきます。前編では、1.企業の人権尊重(ビジネスと人権)を巡る潮流、2.企業が尊重すべき人権とその在り方、3.世界的潮流とハード・ローとソフト・ローの併存を扱います。次号の後編では、4.人権方針によるコミットメント、5.バリューチェーンと人権デュー・ディリジェンスの必要性と対応について解説します。
近時、企業がサステナブル(持続可能)な経営を行う上で、ESG(Environment、Social、Governance)対応に留意することは必要不可欠となっています。なかでも気候変動等のE(環境)の課題に対する取組みを推進している企業は少なくありません。他方、ESGのS(社会)に関係の深い「人権」に関する課題については、未だ十分な取組みを行っている企業は必ずしも多くはないというのが現状です。しかしながら、企業は、自らの活動がステークホルダー(ライツホルダー)の人権へ与える影響について直視し、「人権の尊重」に真剣に取り組むべき時期が来ていることを認識しなければなりません。
そもそも「人権」とは、人間が生まれながらにして当然に有している基本的な権利であり、いかなる国家権力や社会的権力、他者の力によっても、決して奪うことのできない、また他に譲渡することのできない自然権であるとされています(世界人権宣言第1条参照)。従来は、このような「人権」の尊重に関する問題は国家対私人という構図で議論されてきました。しかしながら、経済活動のグローバル化の進展に伴い、企業活動が地球環境や私人の生活に及ぼす影響が拡大していることを踏まえ、2011年の国連人権理事会では「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下「指導原則」という)が採択および公表され、経済協力開発機構(OECD)で「OECD多国籍企業行動指針」の改訂が行われることにより、企業における人権尊重の責任が明示的に求められるようになりました。
このような指導原則の採択等を皮切りに、企業活動が人権に与える影響に焦点が当てられるようになり、英国現代奴隷法等をはじめとするハード・ローが欧米各国において制定されています。さらに、OECDの「責任ある企業行動のためのデュー・ディリジェンス・ガイダンス」(以下「OECDガイダンス」という)やEUを中心としたソフト・ローの公表等も相次いでなされています。日本では、2020年10月、「ビジネスと人権」に関する行動計画(2020-2025)(以下「行動計画」という)が策定され、企業に対して人権デュー・ディリジェンスの遂行を含む人権関連対応に対する意識の向上が求められています。2021年のコーポレート・ガバナンス・コードの改訂においても、明確に、取締役会は「人権の尊重」の課題への対応は、リスクの減少のみならず収益機会にもつながる重要な経営課題であると認識し、能動的に取り組むべきものとされています(原則2-3)。また、企業活動における人権尊重は、ESG投資においても、重要な取組みの1つと捉えられており、投資家や金融機関からの資金調達の観点からもその重要性が増しています※1。
そのため、企業がサステナブルな経営を実現するためには、早期に、ESGのSに係る企業活動と「人権」の尊重に係る経営課題に正面から取り組むことが必要不可欠です。
企業活動と人権の尊重を検討する上で重要な点は、本来何者にも侵害されるべきではない自然権である「人権」は常に尊重されるべきであり、それを侵害するような活動や行為は許容されないということです。それ故、企業の事業自体への影響を「人権」の尊重より優先すべきではありません。この観点から、人権に関連するリスク(以下「人権関連リスク」という)とは、企業自体への負の影響を与えるリスクではなく、企業活動に係る従業員、取引先、投資家、消費者、地域住民、国・地域・環境等に係る関係者等のさまざまなステークホルダー(ライツホルダー)の人権に負の影響を与えるリスクであると認識されるべきです。
もちろん、企業が人権関連リスクに適切に対応しなければ、結果としてライツホルダーからの訴訟提起、輸入差止め、行政罰の賦課などの法的リスク、従業員等のストライキや人材流出などのオペレーショナルリスク、消費者等の不買運動やSNSでの炎上などのレピュテーションリスク(ブランド棄損等)※2、株価下落や金融機関や機関投資家等の投資の引揚げ(ダイベストメント)といった財務リスクなど、さまざまなリスクを発現させることとなります。ひいては企業経営の存続に重大な影響を及ぼしかねません。しかしながら、人権関連リスクの捉え方は、これらの企業経営に係るリスクとは次元の異なるリスクであることに留意する必要があります。
1で述べた指導原則やOECDガイダンスは法的拘束力のないものですが、近年、欧米を中心に急速にビジネスと人権に関するハード・ロー化が進められています。このような外国での法制は、現地に子会社や支店を有する日本企業だけでなく、自社のバリューチェーンが当該法制化した国と関わりがある場合には日本企業にも適用される可能性があります。また、バリューチェーン上の企業から法令上の措置を求められる可能性もあります。それ故、日本企業においてもこのような法制化の動向を注視し、適切な対応を取る必要があります。また、ESGに関しては、人権を含めてさまざまなソフト・ローが公表されており、その内容は各国での法制化にも影響を与えるため同様に注視しなければなりません。以下では、諸外国における主な法制について概説します(図表2)。
上記のとおり、各国でハード・ロー化の波(デュー・ディリジェンス義務の拡大)が進む中、今後、各国法令の対象企業やそのサプライチェーン上の企業との取引契約において、人権方針や調達方針等への合意や遵守の徹底、それらを徹底するための適切なトレーニングの実施、遵守状況の調査協力等に関する契約条項を定めること等が求められる可能性(そのような定めが受けられない場合は新規取引や取引継続が困難となる可能性)があります。そのため、日本企業としては、自社のサステナブル(持続可能)な経営を実現するためには、自社及び自社のバリューチェーン上の人権課題に向き合い、人権尊重の義務を果たすことが必要不可欠であることを認識しながら、能動的に、適切な人権方針の策定によるコミットメントや人権デュー・ディリジェンスの実施等の取組みを推進していくことが重要です。
※本稿後編は、次号(2022年1月号)に掲載します。
※1例えば、国連では、国連責任投資原則(PRI)が公表され、その後、国連の機関投資家向けの投資行動フレームワーク(投資家が人権を尊重するべき理由およびその方法)、国連持続可能な保険原則(PSI)、国連責任銀行原則(PRB)等が策定されており、投資行動においても人権の尊重が強く求められています。
※2 例えば、2013年にバングラデシュで起きた商業ビル崩落事故では1000人以上の死者が出ましたが、そのほとんどは欧米や日本の衣料品メーカーが安価な労働力を求めて現地業者に製造委託した工場の労働者でした。この事故に関しては、NGO、NPO、消費者等からも批判の声があがり、同メーカーのブランドの棄損につながりました。その他サプライチェーン上の製造委託先での労働問題により同様の状況となる例が多くあります。
※3 世界人権宣言、経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約及び市民的及び政治的権利に関する国際規約の3つの文書で構成されています。
※4 2021年5月、オランダ・ハーグ地方裁判所は、大手石油会社に対し、気候変動は地域住民の生存権を脅かし、人権侵害をもたらし得ると認定し、気候変動と人権問題の関係を明示した上で、指導原則を企業の注意義務の基準として採用し、CO2排出量の削減義務が存することを判示しました(なお、同年7月に控訴されています)。
※5 一般に、原料生産・調達から、製品・サービスが消費者に使用・廃棄されるまでの一 連のプロセスをいいます。
※6 一般に、企業の事業活動に関連する付加価値の創出から費消に至るすべての過程に おける一連の経済主体もしくは経済行動をいい、原料採掘、調達、生産、販売、輸送、 使用、廃棄等、事業活動に関連する一連の行為と主体が含まれます。
※7 ドイツのサプライチェーン・デュー・ディリジェンス法の概要については、PwC弁護士法人のESG/サスティナビリティ関連ニュースレター(2021年10月号)の記事「ドイツのサプライチェーン・デューディリジェンス法(人権デューディリジェンス)と日本企業への影響」をご参照ください。
https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/news/legal-news/legal-20211029-1
PwC弁護士法人
パートナー代表 北村 導人