
本稿では、「サステナブル経営(ESG対応)における企業活動と『人権』の尊重」について、前号(2021年11月号)と今号の2回に分けて解説しています。前編では、1.企業の人権尊重(ビジネスと人権)を巡る潮流、2.企業が尊重すべき人権とその在り方、3.世界的潮流とハード・ローとソフト・ローの併存を解説しました。今号では、後編として、4.人権方針によるコミットメント、5.バリューチェーンにおける人権デュー・ディリジェンスの必要性及び対応について解説します。なお、用語の定義については、前編と同様の意味を有するものとします。
※前編は、https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/prmagazine/pwcs-view/202111/35-08.htmlに掲載しています。
企業は、人権方針(ポリシー・ステートメント)の策定による人権尊重責任へのコミットメントが求められています(指導原則※115a、16)。人権方針には、人権尊重に関する自社の考え方、人権関連の国際的なフレームワーク(国際人権基準及びILOの中核労働基準等)との関連性、従業員、取引関係者その他さまざまなステークホルダーに対する人権配慮への期待等を明記することとなります。
この人権方針の策定に当たっては、企業は、人権に関する国際的なフレームワークや業界特有の事情等を調査・理解し、その内容に照らしながら、自社の人権課題の実態を調査・分析する必要があります。その過程では、対応を優先すべき人権課題、国・地域特有の課題、業界特有の課題等を適切に把握するために、社内外の当事者や専門家と議論を重ねることが重要です。このような検討を踏まえて策定された人権方針は、最終的には、企業の経営トップや取締役会等による承認を経て、企業のコミットメントとして社内外に公開されることとなります。
また、人権方針はそれ自体を公開するだけでなく、社内の事業の方針や事業運営プロセス(例えば、社内ガイドライン、社内規程及び社内メッセージ等)の中にそのエッセンスを組み込み、企業全体及びサプライチェーンに浸透させることが重要です。その上で、定期的に行われる人権デュー・ディリジェンスやグリーバンス・メカニズム(苦情処理解決メカニズム)により検出された新たな人権課題の分析結果を踏まえて、当該課題への対応等を含めた、人権方針の改訂を随時行う必要があります。
指導原則(15b、17)では、企業は、人権を尊重する責任を果たすために、人権への影響を特定し、予防し、軽減し、対処方法を説明するための人権デュー・ディリジェンスを実施しなければならないものとされています。このような指導原則に基づき、欧米を中心として、人権デュー・ディリジェンスの実施義務を定めるハード・ロー化が進められています(前編の「3世界的潮流とハード・ローとソフト・ローの併存」を参照)。他方、日本では、人権デュー・ディリジェンスの実施義務を定める法令は未だ制定されていません。しかしながら、日本企業としても、サステナブル経営の実現に必須となるステークホルダーからの信頼を得るためには、ハード・ロー化を待つまでもなく、企業自らが、適切に自社のステークホルダーに係る人権尊重に対する責任を全うし得る、人権デュー・ディリジェンスの実施態勢整備及びその検出事項への対応に取り組む必要があります。
また、欧米のハード・ローの制定により、その法令制定国に所在する日本企業の子会社や支店、及び日本企業のサプライチェーンに組み込まれている取引先等との関係で、日本企業自体および日本企業のグループ企業に対して、人権デュー・ディリジェンスの実施義務または協力義務(契約上の義務を含む)が課せられることは十分に考えられます。このような諸外国のハード・ローやサプライチェーン上の取引先との契約関係に関する動向を踏まえても、企業のサステナブル経営を実現するには、自社はもちろんのこと、サプライチェーン(バリューチェーン)上の取引先を含めて、人権の尊重に向けた取り組み(人権デュー・ディリジェンス等)を進めることが急務となっています。
人権デュー・ディリジェンス※2は、合理的で良識のある企業が、人権への負の影響を特定、防止、軽減し、どのように対処しているかを説明するために従う必要のある、継続的なリスクマネジメントのプロセスです。具体的には、以下に述べるとおり、①対処すべき人権課題(スコープ)の特定(関連情報の収集を含む)、②人権への実際の影響及び潜在的影響の評価(人権関連リスクの分析・評価)、③リスクの防止・軽減・是正・モニタリング、④報告・開示、というステップで行われます※3(図表1)。
企業は、考え得る人権課題に優先順位をつけるリスクベース・アプローチを用いて、人権デュー・ディリジェンスの対象範囲を選定し、確定する必要があります。その優先順位付けにおいては、(a)(人権侵害が顕在化した場合の)深刻度(規模(負の影響の重さ)、範囲(影響の及ぶ範囲)、是正不能性(負の影響を受ける前と同等の状況に回復できる限度))と(b)発生可能性(影響が生じる可能性)が考慮されることとなります。
この対象範囲の選定・確定手続は、企業におけるバリューチェーンのマッピング(バリューチェーン全体の把握とそれぞれの段階のステークホルダーの把握)を作成した上で行われます。指導原則17の解説では、多数の企業とバリューチェーンを形成している企業においては、「特定のサプライヤーや顧客の業務状況、関連する特定の事業・製品またはサービス、その他の関連する考慮要素を原因として、人権に対する負の影響(人権リスク)が最も大きい一般的な領域」※4を優先的に検討することが提言されています。このプロセスでは、特定のサプライヤー・顧客、業界、原材料等、国・地域などにおける人権リスクに関する一般的な深刻度及び発生可能性に関する知見を有する外部専門家(NGO、NPO、コンサルタント、弁護士等)の協力を得て、効率的・効果的に対象範囲の選定を行い、優先的に取り組むべき人権課題を的確に把握することが肝要です。
次に、①で特定された対処すべき人権課題に関して、国際人権基準に違反する、または潜在的に違反する可能性のある事実(人権リスク)の有無、当該人権リスクの深刻度及び発生可能性について具体的な分析・評価を行う必要があります。
このプロセスでは、SAQ(Self-Assessment Questionnaire)等を活用して、自社グループのみならず、バリューチェーン上の各サプライヤーから(顕在化している、または潜在的な)人権課題及び当該課題に対する取組状況等について情報を収集することが必要です。そのうえで、①で優先的に対応すべきとされた人権課題を中心に、(a)バリューチェーン上に存在するライツホルダーとの対話(エンゲージメント)の状況(過去の自社の従業員、取引先その他関係者へのヒアリングやアンケート、社内記録等のレビュー等)、(b)バリューチェーンが関わる国・地域・事業分野等の状況(業界・地域特有のリスクや国内外の潮流等に関するリサーチ、各国際機関やNGO等が公表している報告書等)、(c)グリーバンス・メカニズム等を通じ得られた情報等も踏まえて、その深刻度及び発生可能性を分析していくことになります。
もっとも、人権リスクの分析には国際的なフレームワークや各国の関連法令等の専門的な知見が要求され、さらにその性質上定量的に評価することが難しい側面があることから、客観的かつ適正な分析及び評価を行うためには、収集した情報や社内の分析に基づき、(i)社内外の専門家と議論をし、(ii)さまざまなステークホルダー(ライツホルダー)との継続的なエンゲージメントを積み重ねることが重要であると考えられます。
②の分析・評価を踏まえて、「最も深刻、または対応の遅れが是正を不可能とするような人権リスク」から優先順位をつけて具体的な対応方法を検討する必要があります。
その対応方法については、企業活動と人権リスクとの関わり方の態様に応じて、当該人権リスクの停止・防止・軽減に向けた、企業としての影響力の行使の具体的な方法を検討する必要があります(後記(2)②参照)。とりわけ、優先的に対応すべき人権リスクについて、ステークホルダー(ライツホルダー)との対話(エンゲージメント)を踏まえて、対応策(是正措置)の実効性や関係者の協働の必要性等を検討し、実行に移すことが必要です。
さらに、対応策を決定した後も、当該施策が適切に実行されているか、当該施策が、想定した人権リスクの停止・防止・軽減の効果をもたらしているかという点について継続的なモニタリングを行う仕組みも策定・実行し、必要に応じて施策の見直しを行う必要があります。
人権責任を果たすためには、企業がいかに人権リスクに対して向き合い、どのような取り組みを行い、その取り組みの結果と対応策について可視化し、さまざまなステークホルダーに対して報告・開示することが必要です。人権方針策定によるコミットメントとともに、当該コミットメントを実行する企業としての実際の取り組みや対応(さらに未実施や未対応の部分)を示すという点で、ステークホルダーとのエンゲージメントを行う際の核となるため、「報告・開示」は極めて重要です。そのため、各国のハード・ローで報告・開示が求められる場合はもちろんのこと、そのような法令上の義務が明定されていない場合においても、企業の人権尊重責任を果たすためには「報告・開示」は重要なプロセスとなります。
指導原則(13b、17)では、自社内部で発生し得る人権関連リスクのみならず、バリューチェーン全体で発生している人権関連リスクに対しても対応することが求められています。そのため、企業としては、バリューチェーンに関連する人権への負の影響が生じることを未然に防止すべく、人権デュー・ディリジェンスを自社グループのみならずバリューチェーンを含めて継続的・定期的に行う必要があります。もっとも、直接取引先(1次サプライヤー)だけでなく、その先にある2次以降のサプライヤー(間接取引先)に対する人権デュー・ディリジェンスは実務上困難を伴います。その困難は容易には解消し得ませんが、その対応のためには、以下のような枠組みを整備し、ステークホルダーとの継続的なエンゲージメントの実行を進めていくことが大切になります。
(a)人権方針と整合的なガイドライン策定
バリューチェーン全体の人権尊重の徹底を実現するには、まず、企業の人権方針と整合性の取れた内容(さらに、サプライヤーを意識したより具体的な内容)で、バリューチェーン全体における統一的な調達方針、調達先行動規範またはサプライヤー責任基準等のガイドラインを策定することが重要です。企業の人権方針と整合的な調達方針や行動規範等を設けることで、人権方針を策定した企業自体だけでなく、当該企業を含むバリューチェーンにおいても人権尊重を徹底する旨のコミットメントを、ステークホルダーに対して明示することとなるからです。そして、バリューチェーン上の各サプライヤーもこのようなコミットメントに基づきさまざまな人権課題を「自分事」と認識し、人権尊重を徹底するための調査や対応策を自らまたはバリューチェーンを通じて協働して検討することになるものと考えられます。
(b)契約におけるガイドライン遵守と履行確保のための調査権及び調査義務
バリューチェーン全体の人権尊重の徹底を実効性のあるものとするには、例えば、新規取引先への事前資格審査(入口調査)に加えて、取引基本契約等において、調達方針や行動規範等のガイドラインの遵守義務を課し、その履行確保のため、企業による調査権と相手方の調査及び対応策検討等に関する協力義務を規定することが考えられます。
また、サプライヤーは複数の階層に及ぶため、例えば、直接取引先との取引基本契約において、直接取引先が2次サプライヤー(間接取引先)と締結する契約において、(a)調達方針及び行動規範(ガイドライン)を遵守すること、(b)企業及び直接取引先による調査権及び当該調査等に対する協力義務を課すこと、(c)2次サプライヤーが3次サプライヤーと契約を締結する際には同様の規定を定めること(連鎖的な義務を要求するいわゆるフローダウン条項※5)等を規定することも考えられます。このような調査権及び協力義務に係る規定により、直接取引先を介して、あるいは協働の取り組みを通じて、間接取引先に対する人権デュー・ディリジェンスを実施することが考えられます。なお、以上の取り組みを効率化し、実務上機能させていくためには、バリューチェーン上のコントロール・ポイント※6を確認すること、各サプライヤーの負担を軽減させるためにバリューチェーンまたは業界内で共通のテンプレートを作成すること等も検討する必要があると考えられます。
さらに、バリューチェーンにおける人権関連対応に必要な情報を収集すべく、連鎖的な守秘義務の一部解除及び情報開示義務を定め、そのような連鎖的な義務履行を通じて、例えば、間接取引先の情報(生産者の名称、所在地、現場管理者、生産物の分類、量、頻度、労働者数、人権リスク評価の結果等)の開示を要請することが考えられます。
(c)契約における表明保証
上記(b)の他、契約上、連鎖的な形で、人権に関する関係法令及びソフト・ローの遵守、労働・環境関連の法令違反の不存在、強制労働・児童労働の不存在、汚職行為の不存在その他人権関連の潜在的リスクの不存在等の表明保証を求めることが考えられます。このような表明保証を実質的なものとして機能させる(人権課題等を適切に理解した上で、表明保証をさせる)ためには、人権デュー・ディリジェンスやグリーバンス・メカニズムを通じて検出された人権課題について、極力具体的な内容を契約書に明記することが重要であると考えられます。
(d)人権関連対応を有効に機能させるための留意点
上記(a)~(c)はバリューチェーンにおける人権尊重徹底のための対応策の一例です。実務では、より実効的に機能させるために、個々の企業と人権リスクへの関わり方等に応じて、具体的な対応策を検討する必要があります。例えば、上記で述べた各サプライヤーの調査協力義務、情報開示義務、表明保証等に関する違反が生じた場合の措置として、契約上、これらの違反を取引停止事由、解除事由、補償事由等として定めることが考えられます。ただし、これらの措置を発動させることが人権リスクの停止・防止・軽減に繋がるか否か(むしろ人権侵害を助長・拡大することにならないか)ということについて十分に留意する必要があります(後記②)。なお、上記の契約上の手当て等の検討に当たっては、関係各国の競争法その他の関係法令の適用等も踏まえて慎重に検討する必要があります。
また、上記の義務違反等の有無を含めて、広範なステークホルダーから人権関連の情報を収集する必要があります。そのため、上記(b)の取引当事者からの情報開示義務だけでなく、自社グループのみならず、サプライヤーを含めたステークホルダーまで間口を広げた内部通報システム及びグリーバンス・メカニズムを構築することが考えられます。このようなシステムを通じて、より広範かつ適時な情報収集を行い、ステークホルダーとのエンゲージメント(後記③)を深めながら、適切な対応策を検討することが考えられます。
バリューチェーンにおいて検出された人権関連リスクについては、企業は、図表2に挙げている3つのケースを念頭に対応すべきこととなります。
もっとも、いずれの場合においても、単に取引停止や契約解除等を行えばよいというものではないことに留意すべきです。契約解除等をしても人権侵害を是正することには必ずしも繋がらず、むしろ人権侵害を助長・拡大させるおそれがあるからです。
具体的な対応策としては、以下のような施策を検討することが考えられます。
(a)人権に対する負の影響を防止または軽減するための計画(以下「是正措置計画」といいます)の策定及び責任者の指定
(b)是正措置計画において、合理的かつ明確な期限及び改善状況を測定するための指標を設定
(c)是正措置計画について、自社グループのみならずバリューチェーン上の関係先に対して周知し、その実行のために可能な限り影響力を行使
(d)影響力行使に当たっては、経営層からの働きかけ、取引上のインセンティブ、業界団体による連携、政府への働きかけなど、集団的な影響力も検討
(e)負の影響を受けた、または影響を受ける可能性のあるライツホルダーやその代表者との協議
(f)バリューチェーン上のサプライヤーに対する継続的改善のための支援(研修、設備や経営システムの改善等)
(g)このような施策を講じてもなお、負の影響を是正することが困難な場合、変化する合理的な見込みがない等の場合には取引停止や契約解除等を検討し、取引停止や契約解除等による負の影響に与えるインパクト等を考慮した上で、負の影響を最小化する方向で実行
上記のとおり、合理的な期間の是正・改善措置を促し、ステークホルダーとの対話も踏まえて、人権への負の影響を最大限緩和する措置を検討すべきです。
近時、企業の中には、本稿で述べた人権関連対応の基本的構造や世界的潮流を含めたトレンドを理解し、すでに具体的な取り組みを進めている企業も増加しています。他方で、企業利益の確保や資金調達の目的のみに着目して形だけの取り組みをしている、あるいは人権に対する取り組みに着手できていないと思われる企業も少なからず存在します。人権というテーマは、長らく企業の利益との繋がりが希薄であるという認識の下、後回しにされてきました。
しかしながら、今や時代は変わり、企業による人権の尊重は企業として当然に遵守すべき国際的コンセンサスとなり、経営のトップアジェンダの1つとまでなっていると言っても過言ではありません。企業の経営陣としては、人権尊重への取り組みに「投資」をしていくことが、ステークホルダーやライツホルダーからの支持や信頼を受け、結果として、企業価値を向上させ、ひいては、サステナブルな発展に繋がる(逆に、人権尊重に重きを置かない企業はサステナビリティに疑義が生ずる)ということを認識し、極力早い段階で自社の事業活動と人権への影響に真剣に向き合い、人権の尊重を掲げた経営に舵を切る必要があると考えられます。
※1 本稿で「指導原則」とは、2011年の国連人権理事会で採択および公表した「ビジネスと人権に関する指導原則」を指します。
※2 ここでの「デュー・ディリジェンス」は、「(負の影響を回避・軽減するために)相当な注意を払う行為または努力」を意味します。
※3 先進企業の具体的取組みについては、「「ビジネスと人権」に関する取組事例集~「ビジネスと人権の指導原則」に基づく取組の浸透・定着に向けて~」(2021年9月、外務省)を参照。
※4 典型的なリスクの一例として、衣料品業界では、サプライチェーンを通じた労働者の権利侵害への関与等、ホスピタリティ業界では、従業員と顧客双方の健康への権利侵害への関与、ソーシャルメディア業界では、誤報に関連した個人やコミュニティに対する負の影響等が挙げられます。
「Business and Human Rights in the times of COVID-19」(国連人権高等弁務官事務所、2020年)を参照。
https://www.ohchr.org/Documents/Issues/Business/BusinessAndHR-COVID19.pdf
※5 当該取引先の取引先との契約にも同様の条項を入れることを要請し、バリューチェーン上の連鎖的な義務履行等を可能にする規定をいいます。
※6 バリューチェーン上の「コントロール・ポイント」(チョーク・ポイント)とは、バリューチェーン上で自社よりもより大きな影響力や可視性を有する企業のことをいいます。例えば、自社より上流に近い企業で複数の上流企業を束ねる企業などです。
PwC弁護士法人
パートナー代表 北村 導人