従来、財務報告の枠組みにおいて、企業は、投資家の判断に影響を及ぼす重要な情報を、容易に企業間の比較ができる形で開示してきました。
AIやIoTをはじめとしたテクノロジーの発展およびデータ流通の加速による産業構造の変化を受け、将来キャッシュ・イン・フローを生み出す価値の源泉の重心が、有形固定資産から無形資産に移行しています。無形資産が企業価値に与える影響は既存の財務報告の枠組みでは表現しきれず、企業の情報開示における非財務情報の重要性が著しく高まっています。また、投資家からは、定型的な過去情報だけではなく、戦略や持続可能性に向けた取り組みなどの将来予測に資する情報を求める声が大きくなっています。
そのような流れの中で、市場で適正な評価を受けるためにも、定型的な過去情報のみを開示するのではなく、非財務情報や将来予測に資する情報を自主的に開示する企業が増えてきています。知的財産についても、ガイドラインの策定などにより、投資家などにとってわかりやすく比較可能な情報開示を支援する取り組みが進められています。
本稿では、知的財産の意義を整理した上で、知的財産のディスクロージャー制度を巡る動きを整理し、知的財産に関して今後どのような開示が企業に求められるのかについて考察します。
なお、文中における意見は、すべて筆者の私見であることをあらかじめ申し添えます。
知的財産には類似する用語が複数あり、それらを分類すると図表1のようになります。
人間の知的活動の成果である「知的資産(Intellectualassets)」のうち、法による保護が認められるものを「知的財産(Intellectual property)」といいます。知的財産の中で、特許権、実用新案権、意匠権および商標権を総称して「産業財産権(Intellectual property rights)」と呼びます。これらは、識別可能で、かつ、なんらかの意味で将来の収益に貢献することが明確な資産であり、「無形資産(Intangibleassets)※1」の1つであると理解されています。
ディスクロージャー制度は、企業が事業内容などを広く一般に公開する制度をいい、法定開示※2、適時開示※3、任意開示※4の3つに分類されます。知的財産に関しては、主に、法定開示であれば有価証券報告書、任意開示であれば知的財産報告書、知的資産経営報告書、統合報告書で開示されます(図表2)。
例えば、有価証券報告書において、知的財産に関連した事業等のリスク、経営上の重要な契約等、研究開発活動は「事業の状況」で記載され、特許権や商標権などは無形資産として「経理の状況」の貸借対照表に記載されます。これらの記載は、企業間の比較可能性を担保するため、ひな形により開示の形式・内容・範囲が統一化されています。
他方、任意開示では開示の形式・内容・範囲に制限がなく、将来の企業価値予測に資する情報の積極的な開示を可能とし、投資家の意思決定に有用な情報をより多く提供できます。投資家への情報伝達手段として重要な役割を果たす任意開示は、知的財産の開示において、求められる内容や目的が時代とともに変化しています。
2021年のコーポレートガバナンス・コード改訂を受け、コーポレートガバナンス報告書に知的財産投資に関する開示項目が盛り込まれたことや、知的財産情報として開示すべき推奨値を示す「知的財産投資・活用戦略に関する開示ガイドライン(仮称)」の公開によって、さらに知的財産の情報開示が今後拡充していくと想定されます。
知的財産に関する開示について検討している代表的な機関として、米国公認会計士協会、国際公認会計士協会、TheWorld Intellectual Capital/Assets Initiative(WICI)、日本公認会計士協会などがあります(図表3)。
知的財産の開示基準の策定における重要な論点の1つは、知的財産の定量的な価値評価においてその評価方法の選択※5によって評価額が異なるなど、適正な知的財産評価を定義することが難しく、投資家に有用な情報が十分に開示されていないことです。
日本では、何が投資家に対して有用な情報なのかについて検討する際に、海外の事例を参考にしつつ、あるべき知的財産開示とはどのようなものであるかという議論がなされてきました。例えば、日本公認会計士協会は、知的財産に関する開示について、米国公認会計士協会のThe Special Committeeon Enhanced Business Reporting(SCEBR)において進められていた財務報告に関する新しい枠組みの検討などを踏まえて、2004年に経営研究調査会研究報告第24号「知的財産評価を巡る課題と展望について(中間報告)」、2006年に経営研究調査会研究報告第29号「知的資産経営情報の開示と公認会計士の役割について」を公表しています。
どの機関も、知的財産の価値・将来性が財務数値では表現しきれないという課題を認識しており、将来予測に繋がる情報の開示を求める投資家の要望に応えるため、非財務情報として知的財産の開示が従来以上に求められるようになってきています。
知的財産の開示を検討する組織WICIは、2004年以降、経済産業省が主導したOECDの「知的資産と価値創造」プロジェクトにおいて、日本から知的資産経営による価値創造の重要性を提唱し、それに共感した欧米のメンバーからの発案で日米欧のネットワーク組織として発足しました。日本およびグローバルの活動として、知的資産を活用して持続可能な価値創造を行う知的資産経営と、その知的資産経営が市場で適切に評価されることをビジョン・研究課題として掲げ、各国において、知的資産のあるべき開示について調査・研究を行っています。
日本では、何が投資家に対して有用な情報なのかについて検討する際に、海外の事例を参考にしつつ、あるべき知的財産開示とはどのようなものであるかという議論がなされてきました。例えば、日本公認会計士協会は、知的財産に関する開示について、米国公認会計士協会のThe Special Committee on Enhanced Business Reporting(SCEBR)において進められていた財務報告に関する新しい枠組みの検討などを踏まえて、2004年に経営研究調査会研究報告第24号「知的財産評価を巡る課題と展望について(中間報告)」、2006年に経営研究調査会研究報告第29号「知的資産経営情報の開示と公認会計士の役割について」を公表しています。
さらに、日本公認会計士協会では、知的財産を含む非財務情報開示に関して、米国公認会計士協会や国際公認会計士協会だけでなく、WICIの意見も踏まえた基準づくりが進められています。
日本の知的財産に関する開示の現状について、知的財産の情報を分析し経営判断に生かす活動を推進する、IPランドスケープ推進協議会※6の幹事を務める企業9社が公表した有価証券報告書、知的財産報告書、統合報告書の3種の開示書類を直近10年分(2011年4月~2021年3月)調査しました。なお、知的資産経営報告書は、主に中小企業による作成が想定されており、IPランドスケープ推進協議会の幹事を務める企業は大企業であることから調査対象外としました。
有価証券報告書および統合報告書は、すべての企業で毎年作成されていますが、知的財産に関する記載の有無は企業および年によってばらつきがあります。また、知的財産報告書を作成している企業は3社のみであり、ここ数年で知的財産報告書の作成をやめ、統合報告書でまとめて記載するという傾向が見受けられます(図表4、図表5)。
統合報告書では知的財産について特に厚い記載が行われており、企業間において同じような構成で開示がなされていることがわかりました。知的財産に関する開示の構成としては、まず企業が描くその企業の知的財産の活用を含む価値創造ストーリーを示し、次に具体的な企業の戦略・事業の概要を記載して、最後に会社のガバナンス体制として役員のスキルを開示する、という流れになっています。
統合報告書は、企業の中長期的な価値創造能力を伝えることを目的として作成され、「価値創造ストーリー」「価値創造プロセス」「価値創造モデル」などの項目において、ビジネスの核となる自社の強みを定義した上で、それを活かして持続的な成長を達成した先の将来のありたい姿を描き、その実現に向けて実施する取り組みを示しています。価値創造ストーリーには、どのような知財投資・活用を通じて競争優位を確立し、製品・サービスの価値を高め、高い収益力・利益率を獲得し、企業価値を高めていくのかという観点も含まれます。
知的財産は価値を生み出す源泉であり、本来ビジネスに組み込まれることで価値の創出に貢献するという性質を持つため、価値創造ストーリーとその中での知的財産の位置づけを明確にすることが必要という考え方が、「価値協創ガイダンス※7」で示されました。環境の理解と資源の確保を組み合わせてユーザーが求める価値を創造・提供する一連の仕組みにおいて、知的財産が果たす役割を企業が的確に評価して経営をデザインするために「経営デザインシート※8」を利用することも考えられます。
統合報告書では、一般的に、全社的な価値創造ストーリーを実現していくための道筋として、企業がどのような課題認識、戦略策定、事業展開をしているのかを記載します。記載の仕方は、事業部ごとに戦略を開示する場合と全社横断的な取り組みに関する戦略を開示する場合の2つに分類できます。事業部ごとに戦略を開示する場合には、事業の内容、事業部の強み、当期以降の課題とそれを踏まえた目指す姿、事業部ごとの価値創造ストーリーについて開示する例が多くみられました。全社横断的な取り組みに関する戦略を開示する場合には、DX推進や新規事業の開発など当期以降に重点的に取り組む事項や、事業活動の基盤となる人材戦略について記載している企業が多く、ESG投資と関連づけてEnvironment、Society、Governanceごとに戦略を開示する企業もあります。
統合報告書における企業の戦略・事業の概要で知的財産を取り上げるとき、価値創造ストーリーと知財戦略を紐づけながら、どのように知的財産を活用して付加価値を生み出すのかについて開示している点は、事業部ごとに戦略を開示する場合と全社横断的な取り組みごとに戦略を開示する場合の双方において共通していました。一方で、事業部ごとに戦略を開示する場合には、事業部ごとに経済環境などを踏まえて課題を認識した上で策定した知財戦略を開示しているのに対し、全社横断的な戦略を開示する場合には、DXや人材戦略など全社的に共通して抱えている課題に対して知的財産をどう活用していくかという戦略を開示している点で違いがありました。
役員のスキルマトリックスは、役員のスキルや経験を可視化し、経営層が画一的な人選になることを防ぎ経営人材の多様性を確保し、企業の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上を実現させることを目的として開示されます。どの役員のスキルマトリックスを開示するかについては企業ごとにばらつきがあり、全ての役員を開示する場合もあれば、社外取締役や社外監査役のみに限定する場合もあります。
知的財産に知見のある役員がいる場合、そのことをスキルマトリックスで開示すれば、①経営戦略の策定・遂行、②ガバナンスの観点から、投資家に有用な情報の提供が可能になります。
知的財産に知見のある役員がいることを明示することで、知的財産に関する中長期的な社会環境の変化やステークホルダーの要望を的確に捉えた経営課題を見つけ、知的財産の情報から作成した同業他社の技術マップや自社のSWOT分析※9を通じて的確な戦略を策定し、適切な監督、助言、意思決定および審議を行える企業であることを示すことができます。
中長期的な企業価値を向上させる観点からは、価値を生み出す源泉である知的財産などへの投資・資源配分に関して、社内の関係部門が横断的かつ有機的に連携し、取締役会による適切な監督が行われる体制を構築することが重要になります。知的財産に関するスキルや経験を持つ役員の存在をスキルマトリックスで開示することにより、知的財産への投資・資源配分を適切に監督し、ガバナンスを有効に機能させていることを投資家へ示すことができます。
本稿では、価値創造ストーリーの中で知的財産への投資などを明記していた企業に知的財産のスキルを有する役員がいるのかについて、役員のスキルマトリックスで確認できるかを調査しました。その結果、価値創造ストーリーの中で知的財産に触れた企業5社中、役員のスキルマトリックスを開示していた企業が4社、役員のスキルマトリックスに知的財産の項目が設定されていた企業は2社ありました。
企業は、投資家の中長期的な投資を呼び込むため、戦略に沿って一貫した経営判断を行い、事業を監督していることを開示することが求められています。今後、価値創造ストーリーおよび経営戦略で知的財産への投資や知的財産の活用を記載する企業は、知的財産の知見を有する役員の存在を役員のスキルマトリックスで開示し、知的財産への投資に関して経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ実行できるスキルが組織として確保できていることを明示する傾向が強まると考えます。
2021年1月、金融庁の「スチュワードシップ・コード及びコーポレートガバナンス・コードのフォローアップ会議」(第23回)において、ESG投資において無形資産の中でも特に知的財産情報が株価に影響するという内容の報告がなされました。
その報告を踏まえ、2021年の改訂コーポレートガバナンス・コードにおいては、上場会社は、知的財産への投資について、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきであることに加え、知的財産への投資の重要性に鑑み、経営資源の配分や事業ポートフォリオに関する戦略の実行が企業の持続的な成長に資するよう、取締役会が実効的に監督を行うべきであることが盛り込まれました。この改訂によって、知的財産に関する比較可能性・意思決定重要性に資する情報を提供できるようになることが期待されます。
2021年12月20日、内閣府知的財産戦略推進事務局および経済産業省産業資金課が作成を検討している「知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドライン」の案を公表し、意見募集を開始しました(図表6)。本ガイドラインは、企業がどのような形で知的財産・無形資産の投資・活用戦略の開示やガバナンス構築に取り組めば、投資家や金融機関から適切に評価されるかをわかりやすく示し、知的財産に関する企業の任意開示を促すためのものとして作成が進められています。
2021年12月20日に公表された案では、企業の知的財産・無形資産の投資・活用を促すため、企業は、自社の現状の姿(As Is)を正確に把握するとともに、目指すべき将来の姿(To Be)を描き出し、これらを照合することで、知的財産・無形資産の維持・強化に向けた投資戦略を構築することが求められています。こうした戦略の構築において、その進捗を取締役会が把握できるようKPIを設定することが重要になります。KPIなどの定量的な指標を経年で把握することで取締役会による監督に活用でき、また定量的な指標を開示することで他社との比較可能性が高まり、投資家や金融機関が重視する相対的な評価において有用な情報になりえます。
こうした取り組みを進めるに当たり、企業、投資家や金融機関に求められるプリンシプル(原則)として、①「価格決定力」あるいは「ゲームチェンジ」につながる、②「費用」でなく「資産」の形成と捉える、③「ロジック/ストーリー」としての開示・発信、④全社横断的な体制整備とガバナンス構築、⑤中長期視点での投資への評価・支援の5つが挙げられます。5つのプリンシプル(原則)を踏まえながら、①現状の姿の把握、②重要課題の特定と戦略の位置づけの明確化、③価値創造ストーリーの構築、④投資や資源配分の戦略の構築、⑤戦略の構築・実行体制とガバナンス構築、⑥投資・活用戦略の開示・発信、⑦投資家等との対話を通じた戦略の錬磨という7つの具体的なアクションが進められることで、知的財産・無形資産の投資・活用が促進され、イノベーションの実現につながることが期待されています。
PwCでは、当ガイドラインの策定にあたりKPIの内容を検討している「知的財産と投資に関する研究会」のメンバーとして参画しています。また、投資家による効果的な知財活用推進を目的として設立された「知財専門調査会社分科会」に参加し、KPIの分析・検証について知的財産に関する情報を分析した結果をもとに専門家としての意見を提示しています。
コーポレートガバナンス・コードの改訂および開示ガイドラインの公表をきっかけに、企業においては、無形資産が価値の源泉として重要な情報であることを再認識した上で、現行の財務情報の枠組みにおいては表現しきれない将来予測に資する情報を開示して無形資産の投資戦略に活用するとともに、市場における適正な企業価値評価・中長期的な投融資の獲得に繋げることが期待されます。
※1 本稿において、無形資産は、識別可能な資産のうち物理的実体のないものであって、金融資産ではないものをいいます。
※2 法定開示とは、公開会社に対して、金融商品取引法や会社法といった法律により義務づけられている情報開示のことをいいます。金融商品取引法に基づく法定開示では、財務内容や事業・営業の概要を記した有価証券報告書などを各地財務局に提出することが義務づけられており、その内容は金融庁のウェブサイト(EDINET)で閲覧できます。
※3 適時開示とは、上場企業に対して、証券取引所のルールにより義務づけられている情報開示をいいます。公正で透明な株価形成の確保を図るため、上場企業は、株価に影響を与えうる経営上の重要な情報を、正確性に配慮しつつも、速報性を重視して適時適切に公表することが求められています。
※4 任意開示とは、企業によって自主的に任意で行われる情報開示をいいます。
※5 知的財産の主な定量的な評価方法としては、コストアプローチ、マーケットアプローチ、インカムアプローチの3つが提唱されてきました。
※6 一般財団法人知的財産研究教育財団に設置された知的財産教育協会において運営される協議会をいいます。知的財産教育協会において、IPランドスケープとは、事業戦略または経営戦略の立案に際し、①事業・経営情報に知的財産情報を組み込んだ分析を実施し、その分析結果(現状の俯瞰・将来展望など)を②事業責任者・経営者と共有する取り組みであると定義づけられています。
※7 「価値協創ガイダンス」とは、企業と投資家を繋ぐ「共通⾔語」であり、企業(企業経営者)にとっては、投資家に伝えるべき情報(経営理念やビジネスモデル、戦略、ガバナンスなど)を体系的・統合的に整理し、情報開⽰や投資家との対話の質を⾼めるための⼿引として、2017年5月に経済産業省から公表されました。
※8 「経営デザインシート」は、企業などが、将来に向けて持続的に成長するために、将来の経営の基幹となる価値創造メカニズム(資源を組み合わせて企業理念に適合する価値を創造する一連の仕組み)をデザインしてありたい姿に移行するためのシートです。知的財産戦略本部は、経営デザインシートやその活用事例などを「経営をデザインする(知財のビジネス価値評価)」(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/keiei_design/index.html)で公表しています(2021年12月15日時点)。
※9 SWOT分析は、強み(strength)、弱み(weakness)、機会(opportunity)、脅威(threat)の4つのカテゴリーから、企業や事業の現状を分析するフレームワークをいいます。
PwCあらた有限責任監査法人
アシュアランス・イノベーション&テクノロジー部
マネージャー 玉井 暁子
PwCあらた有限責任監査法人
アシュアランス・イノベーション&テクノロジー部
シニアアソシエイト 太田 ゆり