
「コーポレートガバナンス」は1980年代まではもっぱらアカデミア(学界)における研究対象とされてきましたが、1990年代以降実務の世界からも注目を浴びるようになりました。1992年12月、英国ではコーポレートガバナンスの概念が、組織と公共にかかわる重要な政策として受容されました。
他方、「監査」はもっと歴史的な沿革を有しています。その発祥はヨーロッパ中世にまで遡ることができるとされ、1973年にはアメリカ会計学会(AAA)において、「経済活動や経済的事象についてのアサーションと確立された規準との合致の程度を確かめるために、これらのアサーションに関する証拠を客観的に入手・評価し、その結果を利害関係のある当事者に伝達する組織的なプロセス」と定義されています。
AAAによる監査の定義は50年近く経過した今日でも有効であると研究者から評価されている点で、コーポレートガバナンスと対照的です。もっとも実務の世界では「監査」という言葉が定義に当てはまらない意味で多用されるという、「監査の爆発」(audit explosion)の現象も多くみられます。
このように異なる出自を有するコーポレートガバナンスと監査ですが、近年における英国での改革では、両者が同じ土俵で議論されています。本稿では、両者の「切っても切れない関係」の源を近年の動きのなかに探りながら、英国における改革のゆくえと日本への教訓について考えてみたいと思います。
なお、本稿における意見にわたる部分については筆者個人のものであり、所属するPwCあらた有限責任監査法人の見解ではありません。
1992年12月、イングランド・ウェールズ勅許会計士協会(ICAEW)における、「コーポレートガバナンスの財務的側面に関する委員会」、いわゆるキャドベリー委員会の議長であったエイドリアン・キャドベリー卿は、報告書と原則規程(「キャドベリー規程」)を公表しました。当初、この規程の作成により、不祥事に苦慮する企業に対する直接的な政府規制が回避されることが期待されていたとされています。しかし、その後の歴史が物語っているように、制定当時の想像を超えてさらに大きな影響をもたらしています。
キャドベリー規程が公表されて以来、コーポレートガバナンスについての実務書や専門書が急激に広まりました。英国の専門職業団体の小委員会により策定された自主的なガバナンス原則が修正、応用され、また、他国の規制システムの参考ともなり、経済協力開発機構(OECD)をはじめとするさまざまな国際機関によってより洗練された形となりました。
この結果、英国上場企業のコーポレートガバナンスの財務的側面を扱った報告書が広く普及し、公的部門を含むあらゆる種類の組織にとり重要となりました。すべての組織がこれら原則になんらかの形で従うことがその正統性を確保する条件となり、コーポレートガバナンスのアイデアと原則がグローバルな地位を獲得、今ではそれなくして組織設計を考えることが困難とすらなっています。
コーポレートガバナンス原則の特徴的な側面として、組織が健全で有効な内部統制システムを維持しなければならないという要請があります。内部統制の概念や実務についての議論は、学問的には会計学(監査論)において1992年より前からありましたが、コーポレートガバナンス論の領域でも、内部統制システムの設計に関する原則が問題の中核を占めています。
内部統制システムの生成は、二次的な経営管理の問題にとどまらず、経営者の公式的な責任とさえみなされるようになっています。比較的短期間に組織の内部統制システムという私的な領域が公的なものに転換され、リスク管理として成文化、標準化、再構成され、同時に研究者の研究対象ともなりました。
そもそもコーポレートガバナンスとは何でしょうか。学説によると、「経営の仕組みのあり方」を意味することもあれば、ある特定の型(たとえば「英米型」や「大陸型」など)の存在を前提に、「その機能する状況を企業全体としてどのように高めていき、またどう確保したらよいかの機能状況」を問題とする議論も存在します。研究者間で合意された定義に則った概念というより、多義的、多面的な様相を有しており、経営学(組織論、財務論)だけでなく、法学(会社法)、経済学(金融論)、社会学、会計学など、多くの学問領域でコーポレートガバナンスが研究されています。
他方、実務においても内部統制をコーポレートガバナンスと関係づける傾向があります。1992年に米国トレッドウェイ委員会組織委員会(COSO※1)が「内部統制の統合的枠組み(InternalControl–IntegratedFramework)」、いわゆる「COSO報告書」を策定したことにより、内部統制を取締役会(監査委員会)や監査役会を含めたコーポレートガバナンスとの関連で議論できるようになりました。2005年に改正・施行された会社法でも、内部統制を会社の執行機関のみならず、監督機関や監査機関にそれぞれ関係づける立場が示されています。
企業のコーポレートガバナンスがどの程度強固に確立されているのかは、内部統制システムがどの程度有効に構築されているかを測る物差しとなっています。コーポレートガバナンスの質を直接体感できるのは「執行の長」としての社長であり、コーポレートガバナンスの質を、内部統制システムの構築や運用を含む「執行の質」に反映することもできます。
本稿のもう1つのテーマである監査においては、前述の監査の定義にある「証拠の調査と検査」はあくまでも選択的な調査と検査であるにとどまり、網羅的でも包括的でもありません。しかし監査人は、サンプルに限定して実施される調査をどの割合で実施するのか、また、精密な調査に供するサンプルをどのように構成するかを判断しなければなりません。
このため、加えて監査意見または報告という全般的な目的のために監査人は、会計システムとコントロールの信頼性、また、財務諸表に含まれるデータや情報、あるいは成果やアカウンタビリティを実証または評価するために用いるデータや情報の信頼性や信憑性に関して意見を形成する必要があります。システムの評価には、システムとデータおよび情報の完全性を確保するためのカギとなる内部統制の十分性と効率性が、システムの作り出すデータと情報を検証する際の証拠の源泉として重要になります。
監査人は、これらの内部統制が実際に運用されていることを確証するのに足る、高度に説得的あるいは強制的な証拠の入手が必要です。システムの信頼性について監査人の心証を確信の状態に導くために、また、その確信を正当化するのに、「十分かつ適切な」証拠が必要となります。
コーポレートガバナンスに対する実務の関心が高まる前の1978年、公認会計士監査の改革の一環でAICPA(米国公認会計士協会)が公表した「財務諸表監査の基本的枠組み:見直しと勧告」(コーエン報告書)」では、経営者に対して、内部統制の機能状況に対する言明を「内部統制報告書」として作成することと、それに対する信頼性の保証を提言していました。その後およそ四半世紀を経て、2002年7月の米国企業改革法(Sarbanes-Oxley act)の制定により、内部統制報告実務は新しい局面を迎えました。
すなわち、「経営者による内部統制開示」の段階から、「公認会計士による監査証明」の段階へと引き上げられ、内部統制報告書に対する公認会計士の関与による信頼性の保証が新たに制度化されることとなりました。この流れは日本にも流入し、2006年6月の金融商品取引法の制定により、有価証券報告書提出会社に対して導入されました。
所有と経営の分離が進んだ近代企業においては、それらが一致する企業と異なる事情があります。企業経営や事業展開、業務遂行に日々関係し強大な権限を有する経営者と、本来は会社の所有者(出資者)という立場ですが、直接関与することのできない株主が存在することを前提に、両者間の潜在的な利害対立を背景として執行に従事する経営者をいかにして監視するかとの問題提起から、コーポレートガバナンスが注目されるようになりました。
企業組織をどのように構築するかは、一次的にはわが国の会社法、金融商品取引法のような「ハードロー」(議会の議決により制定される法律)が扱うテーマであり、ルールベース(細則主義)で詳細に企業行動が規制されます。ハードローはエンフォースメントの観点からは有効と言えますが、同時に企業活動の柔軟性を確保するという要請を考慮する必要があります。硬直的な規制は、企業のイノベーションを妨げるためです。
すなわち、コーポレートガバナンスはハードローだけで完結するものではなく、より緩やかなプリンシプルベース(原則主義)によるソフトロー(コードやガイドラインなど、国家権力によりエンフォースメントされない規範)が有効な領域があります。このソフトローの有効性を確保するうえでは、専門家による判断を伴う監査が重要な役割を果たしています。1990年代以降、英国においてコーポレートガバナンスの「真空地帯」におけるソフトローの重要性が増し、会計士の役割が重要視されるようになったとされます。それが「監査の爆発」の現象を生み出したと言えるかもしれません。
21世紀初頭までにさまざまなコーポレートガバナンスに関する仕組みが各国でとられてきましたが、英国では近年、社会的な影響の大きな企業における会計不正事件が頻発し、それに対応する形で監査改革が進められています(飯沼・山口(2021))。本稿のテーマとの関係でその特徴を一言で示せば、監査とコーポレートガバナンスとを一体として改革する「ホリスティックアプローチ」が英国政府から提示されていることが挙げられます。
これは、企業をとりまくステークホルダー、すなわち取締役会(経営陣)、投資家(株主)、監査人、規制当局がそれぞれの役割を果たすことが、改革の目的達成に必要ということを意味しています。監査とコーポレートガバナンスとがまさに「切っても切れない関係」にあることを、英国政府の提案は物語っていると言えます。
コーポレートガバナンスにおけるソフトローとしてのコードの制定は1990年代に英国で始まり、OECD原則を経由して、わが国にもいわゆる「アベノミクス」における「第3の矢」、成長戦略の一環として近年導入されるに至っています。
コーポレートガバナンスは各法域の制度や文化を踏まえて具体化されますが、「ホリスティックアプローチ」の考え方は英国だけにあてはまるものでなく、より普遍的なアプローチである可能性があります。英国で米国流の内部統制報告制度の新たな制度化が議論されていることも、全体として普遍化に向かう方向性を示していると言えるかもしれません。今後の改革の進展をきめ細かく見守っていく必要があると思われます。
飯沼篤史・山口峰男「監査を巡る英国の状況と日本企業への影響②」経営財務3516号(税務研究会2021年)
鳥羽至英『内部統制の理論と制度執行・監督・監査の視点から』国元書房,2007年
鳥羽至英『監査を今、再び、考える。』国元書房,2018年
鳥羽至英・秋月信二・永見尊・福川裕徳『財務諸表監査』国元書房,2015年
Flint, D. Philosophy and Principles of Auditing:An Introduction , 1988. The Macmillan PressLtd.(井上善弘訳『監査の原理と原則』創成社,2018年)
Power, M. Organized Uncertainty: Designing aWorld of Risk Management , 2007. Oxford UniversityPress.( 堀口真司訳『リスクを管理する不確実性の組織化』 中央経済社,2011年)
英国における監査改革の動向については、参考文献のほかPwC's View第26号(2020年5月)に寄稿した以下の記事もあわせて参照いただければ幸いです。
山口峰男「英国における監査改革の動向から、企業情報開示のあり方に関する今後の議論の方向性を探る―ブライドン・レビュー」
https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/prmagazine/pwcs-view/202005/brydon-review.html
※1 Committee of Sponsoring Organization of the Treadway Commission
PwCあらた有限責任監査法人
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所長 山口 峰男