
有価証券報告書で知的財産に言及する企業がここ10年で大きく増加しました。東証一部上場企業を対象に有価証券報告書において「知的財産」に言及した企業数を調べたところ、この10 年間で10ポイント近く増加していることがわかりました(図表1)。これらの企業の多くは有価証券報告書の「事業等のリスク」に、自社の知的財産権が侵害されるリスクや、他社の知的財産権を侵害してしまうリスクを挙げています。
知的財産は会計上、無形(固定)資産(IFRS・日本基準)の1つとして取り扱われます。財務諸表では商標権、特許権、ライセンス、著作権などの名称で表現されることが多いようです。
知的財産は重要な経営資源として認識されながらも、財務諸表上は本来の経済価値よりずっと小さな金額で資産計上されているケースがしばしば見られます。本稿では、なぜそのような乖離が生じるのかという点を出発点として知的財産管理(以下、知財管理)の基礎情報のあり方について考察します。
なお、文中における意見は、すべて筆者の私見であることをあらかじめ申し添えます。
2010年12月末 | 2020年12月末 | |
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東証一部上場企業数(A)※1 | 1,670社 | 2,186社 |
有価証券報告書で「知的財産」に |
527社 |
899社 |
割合(B/ A) | 32% |
41% |
※1 日本取引所グループホームページ「上場会社数の推移」
※2 決算日が直近1年間の有価証券報告書より集計
会計では、「I. 当初認識」→「II. 事後測定」→「III. 認識の中止」というライフサイクルの中で数値が動いていきます。まず、無形(固定)資産の定義を満たした知的財産は資産として財務諸表に認識し(I. 当初認識)、その後は償却費や減損損失を通じて費用化し(II. 事後測定)、最後には資産計上額がゼロとなります(III. 認識の中止)。このライフサイクルはIFRS(国際財務報告基準)も日本基準も共通していますが、日本基準には無形固定資産に関する包括的な会計基準が存在しないため、以下ではIFRSを中心に解説します。
会計では当初認識額がその後の会計処理のベースとなるため非常に重要です。当初認識額の測定方法は取得形態によって異なっており、主に3つのパターンに分類されます(図表2)。
I. 当初認識 | II. 事後測定 | |
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取得パターン | 取得原価の測定の基礎 | |
個別の取得 | 支出した現金等 |
償却・減損 |
企業結合の一部としての取得 |
公正価値 |
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自社開発(自己創設) | 支出した現金等のうち、6要件を満たす部分 |
個別の取得は、特定のライセンスや特許権などの知的財産を個別に取得するケースを指します。「個別」という表現は、企業結合の一部として知的財産を取得するようなケースとの対比として用いられています。
個別に取得した知的財産の取得原価の測定は非常にシンプルで、通常、支出した現金の金額で財務諸表に当初認識します。対価が現金以外のケース、例えば、株式等の金融商品であるケース、政府からの補助金を一部利用して取得するケース、他の資産との交換により取得するケースなどにおいては、それぞれの状況に応じた測定方法が規定されていますが、一般的には現金による取得が多いと想定されます。
企業結合の一部として取得する場合は、取得原価の算定が複雑になります。
企業結合の対象は他の企業からスピンアウトされた事業の場合もあれば、独立した個別の企業が取り引きされる場合もあります。その事業や企業を構成する商品、売掛金、有形固定資産、無形資産(知的財産)、買掛金、借入金、退職給付負債といった複数の項目が同時に取り引きされるため、それらの項目と企業結合の対価を1対1で紐づけることができません。そこで、取得企業は取得した識別可能な資産と引き受けた負債をそれぞれの公正価値で測定し、個々の公正価値をもって各項目を当初認識します。この会計手法は一般にパーチェス・プライス・アロケーション(Purchase PriceAllocation:PPA)と呼ばれます。
知的財産の中には自社開発したものも数多く存在します。IFRSではこれを自己創設無形資産と呼びます。
自己創設の項目を無形資産として認識するには厳格なルールが定められています。まず、研究開発活動を研究局面と開発局面に分け、研究局面における支出は全額発生時に費用として認識します。次に、開発局面における支出をいわゆる「6要件」のふるいにかけます。企業は以下の6要件を満たしたと立証できる場合のみ、6要件を最初に満たした日以降に発生した支出の合計を無形資産として認識します。
(a)使用または売却に利用できるように無形資産を完成させることの技術上の実行可能性
(b)無形資産を完成させて、使用するかまたは売却するという意図
(c)無形資産を使用または売却できる能力
(d)無形資産が可能性の高い将来の経済的便益をどのように創出するのか。とりわけ、企業が、当該無形資産の産出物または無形資産それ自体についての市場の存在や、無形資産を内部で使用する予定である場合には、当該無形資産の有用性を立証できること
(e)開発を完成させて、無形資産を使用するかまたは売却するために必要となる、適切な技術上、財務上及びその他の資源の利用可能性
(f)開発期間中の無形資産に起因する支出を信頼性をもって測定できる能力
このように自社開発(自己創設)の知的財産については資産計上が限定されるため、経済価値に比べて帳簿価額が非常に少額であるケースが多く見られます。例えば、製薬会社の場合、規制当局による販売承認を得るまでは6要件を満たさないと判断するのが一般的であるため、多額の資金を投じて開発した将来有望な新薬が認可されたとしても、開発コストのほとんどは6要件を満たす前に発生するため費用処理され、6要件を満たした後に発生するわずかなコストが特許権などの形で資産計上されるケースが多いようです。
当初認識した後は償却および減損を通じて取得原価を費用化していきます。
IFRSの償却モデルには原価モデルと再評価モデルがありますが、再評価モデルはその資産を売買する活発な市場があることが条件となっています。知的財産を売買する活発な市場は一般に存在しないため、原価モデルのみが実質的に選択可能となっています。原価モデルでは通常、定額法を用いて償却します。
減損は帳簿価額が回収可能価額を上回るときに帳簿価額を引き下げる会計手続です。減損は通常、資金生成単位(Cash Generating Unit:CGU)と呼ばれる資産グループ単位で検討を行います。例えば、A製品に関する特許権であれば、A製品を製造する工場の土地、建物、機械設備などをまとめて1つのCGUとし、CGU単位で減損テストを行います。CGUについて認識された減損損失は、通常、そのCGUを構成する各資産の帳簿価額に基づいて比例配分されます。減損後の各資産の帳簿価額は、各資産をそれぞれ個別資産として回収可能価額を見積もった結果とは異なる可能性があります。
知的財産の経済価値と帳簿価額が乖離する理由は大きく2つ考えられます。
1つ目の理由は、自社開発(自己創設)の知的財産は資産計上できる範囲が非常に限定的であることです。先述の(4)の新薬の特許権の例のように、経済的には多額の価値があることがわかっていても、会計上の帳簿価額は非常に少額であるという状況がしばしば生じます。
2つ目の理由は、会計上の帳簿価額は減少する方向にのみ動いていくことです。会計上は償却や減損を通じて帳簿価額を引き下げるのみで、帳簿価額を取得原価以上に引き上げる事後測定は通常行いません。多くの場合、経済価値は時の経過とともに減少していくと考えられますが、必ずしもそうでない場合もあります。また、減損により帳簿価額を引き下げる場合は通常、関連する資産に減損損失を機械的に比例配分しますが、必ずしもCGUを構成する各資産の経済価値が会計と同様に比例配分的に減少しているとは限りません。
財務諸表は、財務諸表利用者にとって目的適合性があり、忠実な表現である情報を提供することを目的としており、必ずしも企業価値を示すようには設計されていません。また、財務諸表はコストの制約を考慮して作成されます。こういった概念フレームワーク上の側面が上記の2つのポイントに影響していると考えられます。
次節では、このような背景を理解したうえで、会計手法を通じて知的財産の経済価値を図る視点について考察します。
2021年6月11日に東京証券取引所が公表し同日施行された改訂コーポレートガバナンス・コード(以下、改訂CGコード)で、知的財産への投資等について、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつわかりやすく具体的に情報を開示・提供することが補充原則として盛り込まれました。
経営戦略や経営課題を考えるうえで、どの知的財産に関連する事業で大きな成長が見込めそうか、どの知的財産が関連する事業で大きな経済的インパクトが見込めそうか、などを知ることは重要です。しかし、先述の 1 の(6)のように、会計は必ずしも経済価値を正確に示すようには設計されていないため、知的財産の帳簿価額からそういった情報を読み取ることは難しいと考えられます。
しかし、正確な経済価値ではなくとも、相対的な重要性を知るための目安として会計手法を利用することは可能かもしれません。そこで、以下では、会計手法である公正価値と使用価値の概要を確認したうえで、これらを財務諸表以外で利用する新たな視点について考察します。
知的財産の経済価値を測定するための手法として唯一絶対的な指標や方法はないと考えられます。他方で、IFRSでは公正価値を「測定日時点で、市場参加者間の秩序ある取引において、資産を売却するために受け取るであろう価格または負債を移転するために支払うであろう価格」として、多くの場面で各種の資産負債を公正価値で測定することを要求しています。
知的財産を含む無形資産の評価手法について実務慣行が確立されているものとしては、前述のPPAなどの財務報告目的での無形資産の公正価値測定が挙げられます。無形資産の公正価値測定において一般的なアプローチおよび評価手法を図表3に挙げておきます。
無形資産の中でも特に知的財産を評価対象とする場合は、容易に再調達もしくは再構築することは通常難しいことから、コスト・アプローチを採用できるケースは限定的です。また、知的財産は内容的にその個別性が強く、比較可能な類似取引事例情報の入手が困難であることから、マーケット・アプローチが適用可能なケースも限定的と考えられます。
アプローチ | 概要 | 評価手法(実務上参照される主な手法) |
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コスト・アプローチ | 資産の用役能力を再調達するために必要な金額を用いる評価技法 |
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マーケット・アプローチ | 同一または類似の項目に関する市場価格を用いる評価技法 |
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インカム・アプローチ | 将来キャッシュフローなどに基づく現在価値を用いる評価技法 |
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ロイヤルティ免除法や超過収益法により無形資産の公正価値を測定する場合、実務では各種パラメーターを検討します。主要なパラメーターを図表4に示します。
知的財産の経済価値を測定する際に使用される主要パラメーターの変化は、間接的に知的財産の経済価値へ影響すると想定されるため、概括的にモニタリングする際の有用な情報となることが期待されます。例えば、ロイヤルティ免除法や超過収益法において、事業環境の変化などにより事業計画(売上および利益)、キャッシュフロー見積期間(残存耐用年数)や減衰率・陳腐化率などの主要パラメーターについて当初の想定から変動が生じている場合、知的財産の経済価値に重要な影響生じている可能性があります。
また、ロイヤルティ免除法におけるロイヤルティ料率の想定について具体的に検討する場合、類似のロイヤルティ事例の他に、当該無形資産が貢献している事業あるいは製品の利益率と比較検討して設定されるのが一般的です。そのため、ロイヤルティの対象となる事業あるいは製品の売上高または利益率が当初見込みより変動した場合には、知的財産の経済価値に重要な影響が生じている可能性があります。
知的財産の経済価値を測定する唯一絶対的な指標や手法はなく、評価においては高い専門性が要求されることから、企業が独自に定期的な再測定を行うことは実務上難しい面もあると想定されます。ただし、経営管理の観点から概括的にモニタリングする等の目的において、上記のような主要パラメーターの変化をもとに検討することは有益であると考えられます。
使用価値は将来キャッシュフローの現在価値として算定されます。会計上、使用価値は減損検討時にのみ使用されますが、将来キャッシュフローの現在価値という概念は知的財産の相対的価値を検討するときに役立ちます。
例えば、知的財産を含む事業全体の使用価値を測定する場合、予算や事業計画を基礎として将来キャッシュフローを見積もります。予算や事業計画は1年~数年間の範囲で策定されていることが多いため、それより先の期間についてはキャッシュフロー予測を推測して延長します。延長方法としては、成長が一定である(予算・事業計画の最終年度と同レベルのキャッシュフローが継続的に発生する)という仮定をおくほか、成長が逓減する(予算・事業計画の最終年度からキャッシュフローが徐々に減少する)という仮定をおく場合もあります。
割引率は一般に加重平均資本コスト(Weighted AverageCost of Capital:WACC)などを出発点として検討します。WACCは税引後の利率であるのに対し、将来キャッシュフローは税引前の金額であることから、会計基準上はWACCを税引前の利率に補正することが求められています。しかし、今回のように財務諸表の枠組みの外で、知的財産に関連する事業の相対的な重要性を知るという目的に鑑みれば、一貫してすべての計算に税引後のWACCを使用するとしても、その目的の範囲においては機能すると考えられます。ただし、そこでの測定値は会計上の使用価値とは異なる点に留意が必要です。
知財管理において何らかの手法を確立し、知的財産の経済価値の相対的な重要性を把握することができれば、より合理的な戦略立案や課題検討に役立てることができると期待されます。そのためには、1回限りではなく、定期的に情報を更新しタイムリーな意思決定や継続的なモニタリングに利用できるような体制整備が必要です。なかにはデジタル技術の利用が可能な部分もあるかもしれません。
なお、本稿では、改訂CGコードを見据えた対応の1つとして、会計手法を出発点に企業が新たな視点で情報活用する可能性を提示しましたが、本稿はこのような取組みに対して特段の保証を与えるものではありません。また、公正価値や使用価値は会計固有の概念であり、これらに調整を加えて別の目的に使用することは本来想定されていません。そのため、こういった取組みにおいては企業独自の視点と判断だけでなく、会計やValuationの専門家に相談することが有用と考えられます。
このような新たな取組みは、改訂CGコードにおける開示責任を果たすためだけでなく、潜在的な企業価値の認識とさらなる企業価値の向上に効果を発揮することが期待されます。
評価手法 | 算定式(基本概念) | 主要パラメーター |
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ロイヤルティ免除法 | 売上高×無形資産のロイヤルティ料率 |
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超過収益法 | (事業全体のキャッシュフロー)-(対象無形資産以外の貢献資産に係るキャッシュフロー) |
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PwCアドバイザリー合同会社
パートナー 森 隼人
PwCアドバイザリー合同会社
ディレクター 石川 雅之
PwCあらた有限責任監査法人
財務報告アドバイザリー部(製造流通サービス)
シニアマネジャー 長谷川 友美