気候変動問題が深刻化する中で、多くの企業で脱炭素化への対応が浸透してきています。特に気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)提言に沿った情報の開示やシナリオ分析の実施、SBT(Science Based Target)やRE100などのイニシアティブへのコミットを通じた中長期脱炭素目標の設定などに取り組む企業が年々増加しています。
インターナルカーボンプライシング(Internal Carbon Pricing:ICP)も、多くの企業が導入し始めている脱炭素対応の1つです。導入が進む一方で「どこまでの仕組みにするとよいか」という声も多く耳にします。同時に、投資家などの評価者側は何を期待しているのかという疑問を聞くことも増えています。
本稿では、ICP導入を例として、これから多くの企業が注目・重視することになると考えられる国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)やサステナビリティ報告指令(CSRD)といった開示基準と、CA100+やGFANZといった投資家・金融機関による投融資先の脱炭素対応関連エンゲージメントを目的としたイニシアティブにおいて何が語られているかを見ることで「どこまでの仕組みにするとよいか」について考察します。なお、文中の意見は筆者の私見であり、PwC Japan有限責任監査法人および所属部門の正式見解ではないことをお断りします。
ICPは企業が自社のCO2排出量に対して独自に価格付けを行う手法で、脱炭素投資時の意思決定などに活用することが期待されています。2014年に主要なESG関連格付けの1つであるCDP(英国のNGO、旧称Carbon Disclosure Project)においてICPが開示対象項目として取り上げられ、2015年に設立されたTCFDにおいてもICPへ言及があり、ICPを意識する企業が増えてきました。また同時期に、持続可能な開発のための世界経済人会議(WBCSD)やCDPなどがICP活用に関するガイドを公表し(日本でも、環境省がこれらのガイドを参照して日本企業向けガイドラインを公表)、これらを参考に多くの企業がICPの導入検討を進めてきました。
TCFDや各活用ガイドラインで共通するのは、ICPは気候関連のリスクや機会を意思決定に反映するための「ツール」であると定義・表現している点です。ツールを活用するためには、活用の「目的」が不可欠ということでもあります。
各活用ガイドラインにおいては、さまざまな用法や企業による活用事例が紹介されています。最も分かりやすく一般的な活用方法は、炭素税などの外部影響を投資判断(NPVや投資回収年数の計算など)に組み込むというもので、諸条件および想定に基づいた炭素価格は「シャドープライス」と呼ばれています。通常の投資判断上では不採算と判断されるような脱炭素投資であっても、炭素税などの回避効果を加味すると、必ずしも不採算ではなくなるかもしれないという発想のものです。
脱炭素投資の促進を目的とした場合、シャドープライスを高く設定するほど効果も高まります。そのため、ICPを活用する企業は、将来の炭素税価格が相当程度高くなるだろうと想定しているケースも多いようです。現在の国際議論を踏まえると、炭素税などの導入や導入検討をしている国も増えており、このようなICPの活用方法は的を射たものとなります。一方で、将来高騰する「かも」しれない、バーチャルな価格は、現時点でのリアルな財務会計には現れず、当該投資は依然として不採算となるといった財管不一致が生じてしまいます。
ESG格付けでは、ICPを導入していると評価(スコア)の対象になることもあり、ICPを導入あるいは導入検討している企業が増えています。「導入している(導入するつもりである)」と回答することが主目的である場合、財管不一致といった課題もあることから、ICPのみを意思決定に用いることは困難であり、投資判断時の参考情報の1つのような扱いになりがちです。
また、ICPを導入すれば投資が進むというように、目的と手段(ツール)を取り違えて解釈し、企業の担当者などがICPに過度な期待を持ってしまうケースもよく耳にします。例えば、ハサミという「ツール」と紙があるとします。紙を切るという目的に対してハサミは有効ですが、紙を切るという目的がなければ使う必要はありません。場合によっては、手でちぎるだけで事足りることもあれば、カッターナイフなどのツールが必要になるかもしれません。
ICPに話を戻すと、多くの企業においてICP(ツール)を使うことだけに焦点が当たり、導入が目的化してしまっている可能性があります。同時に、どのようなICPを導入すれば正解なのかが分からないという企業側の悩みが生じているのではないでしょうか。なお、他社のICP活用をベンチマークする企業も多いようですが、他社も解をもたない可能性がある中では、そこから正解を見つけるのも難しい状況とも考えられます。
開示という観点で、ICPの扱いが今後どのようになっていくか、そこから何かICP導入へのヒントが得られないかを検討します。
IFRS(国際財務報告基準)財団傘下のISSB(国際サステナビリティ基準審議会)が公表した気候関連開示基準「IFRSS2」と、欧州委員会のCSRDにおける気候関連開示基準書「ESRS E1」において、ICPについてどのような言及がなされているかの概略を図表1に示します。いずれにおいてもICPは開示要求事項となっています。
図表1:気候関連開示基準でのICPへの言及
基準 | 開示要請(概要) |
IFRS S2 |
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ESRS E1 |
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出所:PwC作成
今後、ISSBはさまざまな国・地域におけるサステナビリティ情報開示義務の設計において参照されると考えられています(日本ではSSBJ〈サステナビリティ基準委員会〉が開示基準の開発を進めています)。また、CSRDは欧州における開示義務として施行されます。つまり、ICPは当局との関係において開示義務の対象となり得るものということです。その一方で、どのように活用しなければならないかまでの指定はなく、ますます前述の課題に頭を悩ます企業が増えていく可能性があります。開示基準からのヒントは多くありませんが、一方で、ICPを参考値利用するような場合が否定されるものでもないと考えられます。
開示基準は利用者あってのものであり、主な利用者は投資家や金融機関と考えられます。投資家・金融機関による投融資先の脱炭素対応関連エンゲージメントを目的としたイニシアティブにおいては、ICPあるいは脱炭素投資判断に対してどのような発言があり、投融資先にどのような期待を持っているのかなどの情報を収集し、ICP導入へのヒントを検討します。
その際に参照するイニシアティブの概要を図表2にまとめます。各イニシアティブの公開文書のうち、ICPへの言及があるもの、およびICPへの直接的な言及はないものの脱炭素関連投資に関わる主な内容を図表3にまとめます。
図表2:投資家・金融機関によるイニシアティブの概要
イニシアティブ | 概要 | 公開文書類 |
CA100+ | 「Climate Action 100+」の略称。世界の投資家がGHG排出量の多い企業を約100社選び、行動でエンゲージメントを行うイニシアティブ | ネットゼロ企業ベンチマーク方法論として投資先企業への情報開示指標や、アセスメント関連手法、エンゲージメントガイドなどを公開 |
GFANZ | 「Glasgow Financial Alliance for Net Zero」の略称。ネットゼロの実現を目指す国際的な金融機関の連合。排出量の多い投融資先企業への働きかけや支援を行う | 金融機関自らのネットゼロ移行計画の策定のためのガイダンス類に加え、投融資先企業のネットゼロ移行計画を評価するための関連文書類を公開 |
出所:PwC作成
図表3:投資家・金融機関によるイニシアティブでのICP関連の言及
イニシアティブ | 関連文書 | ICPへの言及/脱炭素投資に関わる内容など |
CA100+ | 開示フレームワーク指標/方法論 |
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エンゲージメントガイド | ||
GFANZ | 実態経済の移行計画に関する文書 |
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ポートフォリオ調整に関する文書 |
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出所:PwC作成
投資家目線においては、投資計画が自社目標ならびにパリ協定目標と整合的であるか(いわゆる移行計画が信頼性のあるものか)を説明する指標/手法の1つとしてICPを挙げている、あるいは活用をイメージしていることが見えてきました。なお、開示基準目線においては、ICPの開示は必須としつつも、活用の有無や方法までを指定するものではないと考えられます。
これらを踏まえると、外部目線で期待されるICP導入・活用方法の外観が図表4のようにおぼろげながら見えてきます。
まず、GHG削減計画と整合的な投資計画を定める(さらに言えば当該投資予算を確保することに企業の経営層がコミットし、具体的投資額を開示する)ということが投資家など外部の期待でもあり、ICP導入に先立つ前提と考えると分かりやすいでしょう。
この投資計画(投資予算の執行)において、気候関連リスクや機会の影響を加味した投資判断基準(補正されたNPVや投資回収年数などの利用)が有効であるならばICPを利用すればよいし、引き続き参考値としての利用や、一部の活用が馴染む投資対象(例えば特定国における再エネ投資など)のみに利用するなどの場合でも、その内容を適切に「開示」すればよいという見方になるでしょう。ICPはツールとして馴染まないという場合は、そのように開示するのも選択肢となると考えられます。
以上のように、今後重要となり得る開示基準や、情報利用者である投資家などが何を求めているかを見ることで、脱炭素対応の「型」を考えるのも有効な一手と考えます。なお、本稿での記述は筆者の解釈が含まれる部分も多く、参照した情報も執筆時(2023年11月)のものであり今後変わり得る可能性がある点には留意いただければ幸いです。
PwC Japan有限責任監査法人
サステナビリティ・アドバイザリー部
ディレクター 横田 智広