カーボンプライシングとは、一般的には炭素税や炭素排出量を取引する排出量制度の導入により、排出される温室効果ガスに金銭的な負担を課すことで、経済成長を維持しつつ、効果的に炭素排出量を規制することを目的とした政策手法です。今後の経済活動において脱炭素を実現するため、多くの国で導入が検討されている、あるいは、すでに導入されています。今後、特にグローバルに事業を展開する企業は何らかの形で対応を迫られることになると考えられます。
欧州では、貿易におけるカーボンプライシングの施策である、炭素国境措置(Carbon Border Adjustment Mechanism:CBAM)の本格実施に向けた移行期間が2023年10月に開始しました。これに伴い、欧州の輸入者は、EU域内に輸入される製品の製造過程で発生した炭素排出量等の情報を四半期ごとに欧州政府に提出することが義務付けられました。
CBAMは、欧州グリーンディールとして2030年までに温室効果ガスを1990年比で55%削減するという目標を達成するための包括的な政策案である「Fit for 55 Package」に含まれる政策の1つです。2026年のCBAM本格実施後、欧州における輸入者は、CBAM対象品の輸入者として登録を行い、輸入する特定の製品の含有炭素排出量に応じたCBAMコストを欧州政府に支払うことになります。
本稿では、CBAMの導入背景について説明し、移行期間において欧州輸入者に課せられる報告義務、および2026年からの本格実施後の運用について解説します。なお、文中における意見は全て筆者の私見であり、PricewaterhouseCoopers WMS Pte. Ltd.および所属部門の正式見解ではないことを申し添えます。
欧州では、2005年から欧州域内排出量取引制度(EUETS)の運用が開始されました。EU ETSの導入により、欧州域内での生産行為で排出される温室効果ガス(GHG)に一定の排出枠が設けられたほか、企業による排出枠の売買が義務付けられました。
一方で、世界には気候変動対策を積極的に進める国とそうでない国があります。EU ETSの導入は規制の緩い域外への生産移転や、輸入品への依存を引き起こすおそれがありました。そのため、このようなカーボンリーケージ(GHG削減策が逆に他の地域での排出増加を招く現象)のおそれがある一部の産業分野については、無償枠割当を行うことでそのリスク対策が採られてきました。しかしながら、当該無償枠割当は、気候変動対策を強化するため、2026年から段階的に削減され、2034年以降は撤廃される予定です。このため、新たなカーボンリーケージへの対策として、EU ETSの無償枠の段階的削減と並行する形で、CBAMが導入されることとなりました。
CBAMは、EU域内に特定の製品を輸入する際に、輸入者に対して当該輸入製品の生産で生じた炭素排出量に応じた炭素価格の負担を求めることで、異なるレベルの炭素規制環境下で製造された製品との間に公平な価格競争条件を作り出すことを目的として設計されています。
現時点では、カーボンリーケージのリスクが特に高いセメント、電力、肥料、水素、鉄・鉄鋼およびアルミニウムがCBAM対象品とされています。具体的には、欧州税関への輸入時に申告される品目番号(CN Code)で対象品が特定されています。
また、CBAM対象品は、2026年までの間に行われる再評価プロセスを経て、カーボンリーケージのリスクがあると見込まれるその他の品目に拡大される可能性があります。将来的にCBAM対象となる具体的な品目や、その品目拡大にかかる2030年までの段階的なスケジュールについては、移行期間終了までに、欧州委員会から欧州議会に報告される見込みです。有機化学品およびポリマーについては明示的に評価対象とされていることから、本格実施後にCBAM対象に含められる可能性が高いと考えられます。また、輸入品の製造過程において使用される前駆物質についても、その製造過程で発生した炭素排出量を、完成品である輸入品の炭素排出量に含めるべきとされており、今後その品目の見直しが行われ、拡大される可能性があります。
2023年10月1日から2025年12月末までは、2026年1月1日からのCBAM本格実施に先立つ移行期間です。移行期間は、影響下にいるステークホルダー(輸出入者および当局)によるCBAM本格実施に向けた準備の促進および情報収集を目的として開始されるもので、CBAMコストの支払い等は求められません。
移行期間中、前述のCBAM対象品を輸入する欧州の輸入者には、輸入品の含有炭素排出量等を、四半期終了翌月末までに、CBAM移行レジストリ(CBAM Transitional Registry)と呼ばれるプラットフォームを通じて報告する義務が課せられます。欧州輸入者に課せられる報告義務の詳細については、2023年8月17日に欧州委員会がCBAM移行期間に関する実施規則を公表しており、2023年9月15日付欧州連合官報に掲載されました(図表1)。
図表1:CBAM移行期間中の報告義務の概要
項目 | ポイント |
報告対象品 |
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対象原産国 |
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移行期間 |
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報告義務者 |
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報告内容 |
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報告期限 |
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ペナルティ |
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出所:PwC作成
CBAM 移行期間にかかる実施規則では、移行期間中の四半期報告で報告すべき含有炭素排出量等の項目が列挙されています。中でも、排出量の算定に関連して、実施規則の中で、対象製品ごとに生産ルートや前駆物質が定義づけられており、これらの関連する生産ルート上で発生した炭素排出量や、前駆物質の生産のために発生した炭素排出量を報告しなければなりません。
直接排出量の測定方法については、大きく分けて、① 実際の排出量を測定する方法と、②実施規則の附属書で公表されている標準値等を使って計算する方法が規定されています。一方、当該いずれかのCBAM実施規則が規定する方法(以下、CBAM方式)以外にも、域外カーボンプライシング等の制度における排出量測定方法との整合性や企業側の測定方法確立にかかるリードタイムを踏まえ、移行期間中における柔軟な運用として段階的措置も規定されました(図表2)。
なお、含有炭素排出量の算定が困難な場合は、欧州委員会が発表するデフォルト値の使用が部分的に認められています。また、当該デフォルト値の利用制限については、前述の排出量測定方法にかかる段階的措置に合わせる形で、段階的な措置がとられることが発表されています。
2024年1月末提出期限のCBAM報告書および2024年4月末提出期限の同報告書の2回分については、第3回目の報告期限(2024年7月末期限)まで修正(modification)が可能です。その後の報告、具体的には2024年7月末期限の報告以降については、原則として、提出後2カ月間、修正(modification)が認められます。さらに、正当な理由があり、申告者から要請があった場合は、最長で提出後1年間の訂正(correction)および報告書の再提出が認められます。
炭素価格の負担は、移行期間完了後の2026年1月1日から開始される本格実施期間に義務化されます。具体的には、欧州の輸入者は、CBAM本格実施後、必要な枚数のCBAM証書を購入し、輸入したCBAM対象品の含有炭素排出量に対応する枚数を毎年5月末までに償却することで輸入品の炭素価格を負担します。CBAM証書は、CBAM対象品のCO21トン分に相当する含有炭素排出量に対応する電子形式の証明書であり、1枚あたりの価格はEU ETSにおける排出価格と連動する見込みです(EU ETS排出権オークション価格の週間平均をCBAM証書価格とする)。原産国における炭素価格の支払いがある場合は当該価格に対応する枚数を差し引き、またEU ETSの無償割当との調整が必要な期間は当該調整を加味した枚数を償却するとされています。
なお、本格実施開始後の含有炭素排出量の計算に関する情報を含むCBAMの本格実施に関する詳細は、今後新たに公表される実施規則等により明らかになる見込みです。未確定情報もありますが、現時点では図表3に示す枠組みが公表されています。対象品の輸入を行う輸入者はCBAMコストの負担に伴い、年に1回CBAM申告を行うほか、CBAM申告書として報告する含有炭素排出量が、CBAM規則に照らし合わせて適切であることを確保するために、認定検証者による検証を受けることも求められる予定です。
図表3:CBAM本格実施の概要
項目 | ポイント |
対象品 |
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対象原産国 |
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申告義務者 |
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CBAM申告書記載内容 |
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申告期限 |
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炭素価格負担方法 |
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ペナルティ |
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出所:PwC作成
CBAM本格実施にかかる詳細については、新たな実施規則等の発表により明らかになる見込みです。今後発表される予定となっている実施規則は次のとおりです。
また、CBAM規則附属書に規定される鉄鋼、アルミニウム、水素のCBAM本格実施後の申告対象となる含有炭素排出量は、製品の製造工程から排出される直接排出量のみとされています。一方で、移行期間中は、製品の製造工程で消費される電力生産による排出量である間接排出量も報告対象事項に含まれており、今後移行期間を経て間接排出量の取り扱いが見直しされる可能性があるところ、今後の動向に留意する必要があります。
欧州とCBAM対象品の貿易を直接的に行う企業のみならず、CBAM対象品に含まれる前駆物質のサプライヤーや生産工程に関与する企業についても、今後何らかの形でCBAM導入の影響を受ける可能性が高いと考えられます。また、CBAMの導入により、欧州の輸入企業が、EU域内へCBAM対象品を輸出する企業に対して炭素排出量にかかる情報提供を求めることが想定されるため、欧州との貿易においては積極的に情報提供に対応する輸出企業が選好される傾向が増す可能性もあります。したがって、ビジネスにおける影響も視野に、炭素排出量の管理に向けた準備を進めることが推奨されます。
長期的には、気候変動対策として、脱炭素や温室効果ガス削減に向けたカーボンプライシングが、欧州以外の国・地域でも新たに導入される可能性があります。その場合には、企業の生産活動において炭素排出量の管理が求められる機会は増加することになります。欧州におけるCBAM導入をきっかけに、カーボンニュートラルの実現に向け、原料調達から生産工程までのサプライチェーンにおける炭素排出量(カーボンフットプリント)の可視化のニーズが一層高まる可能性もあり、カーボンプライシングという施策が、企業のクロスボーダー取引やビジネス環境に与える影響にも注視していく必要があると考えられます。
PricewaterhouseCoopers WMS Pte. Ltd.
関税・貿易部
シニアマネージャー 濱田 未央