PwC Japan有限責任監査法人の基礎研究所(以下、基礎研究所)は2007年の設立以来、将来の監査業務に影響をもたらすと思われる経済・社会の基礎的な流れに関して独自の研究活動を行っています。今回は、基礎研究所の新所長 矢農理恵子パートナー(以下、矢農)と新副所長 山田善隆パートナー(以下、山田)が、わが国におけるサステナビリティ開示基準の動向や日本企業への影響について語ります。スピードが速いといわれるサステナビリティ開示基準の動向をつかんでおきたい方も、あらためて確認したい方もご覧ください。
なお、文中の意見は対談者の私見であり、PwC Japan有限責任監査法人および所属部門の正式見解ではないことをお断りします。
矢農:サステナビリティ情報開示のニーズが高まり※1、わが国でも開示基準の開発が進んでいます。わが国のサステナビリティ開示基準は国際的な動向の影響を受けていますので、まず、国際的な動向を確認しておきましょう。EUでは、企業サステナビリティ報告指令(CSRD)がすでに2024年1月から段階的に適用されており、開示基準としては欧州サステナビリティ報告基準(ESRS)があります。
山田:一番先進的な動きをしているのがEUです。その一方で、米国では2024年3月、証券取引委員会(SEC)が気候関連の開示規則を採択しました※2。規則案が公表されてから採択まで約2年を要しました。また、米国では昨年、カリフォルニア州が気候開示法を成立させています※3。カリフォルニア州の法律ですが、州内で一定規模以上の事業を営む米国子会社を有する場合にも対象となるため、その影響はグローバルといえるでしょう。
矢農:本当にそうですよね。カリフォルニア州の動きには正直、驚きました。そして、国際基準として、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が2023年6月、最初の開示基準、IFRS S1号およびIFRS S2号を公表しています。これらを適用するかどうかは各国の当局の決定次第ですが、ISSB基準は2023年7月、証券監督者国際機構(IOSCO)によってエンドース(承認)されています。
山田:エンドースとは、端的に言えば、世界の資本市場で使われるのに適切であると認められたということです。これは以前、会計基準についても同様の動きがありました。
矢農:24年前、2000年に国際会計基準(IFRS)がIOSCOにエンドースされ、その後、IFRSの適用が世界で広がりました。当時と異なるのは、自国の会計基準をもつ国は多くありましたが、今、自国のサステナビリティ開示基準をもつ国はほとんどないということでしょう。
山田:そうですね。会計基準についてはすでに確立された基準や実務がありましたので、国際会計基準へのコンバージェンスをどうするかという議論がなされました。サステナビリティ開示基準の場合は自国基準という土台がありませんので、ISSBが開発した国際基準を、どのように各国が取り入れていくかという議論になりますね。
矢農:実際、ISSB基準をそのまま取り入れる方針の国もありますが、日本では2022年7月にサステナビリティ基準委員会(SSBJ)が設立され、ISSBによるIFRSサステナビリティ開示基準(IFRS S1号およびIFRS S2号)の内容を取り入れるかどうかについて議論がなされています。議論の成果物として、2024年3月29日に公開草案が公表されました。
山田:SSBJでは、IFRS S1号およびIFRS S2号の内容を基本的に取り入れる方針ということです。ただし、個々の論点ごとに、提供される情報が重要でないもの、企業に過度な負担をかけることが明らかなもの、周辺諸制度への制約が生じるものについては、国際的な比較可能性を損なわない範囲で取り入れない、または追加的な基準を設ける方針で議論がなされてきました。
矢農:次にSSBJの公開草案について見ていきましょう。開発のベースとなっているIFRS S1号は、サステナビリティ関連財務開示を作成する際の基本的な事項を定めた部分と、サステナビリティ関連のリスクおよび機会に関して開示すべき事項(コア・コンテンツ)を定めた部分とで構成されています。この点、SSBJの公開草案では分かりやすさの観点から、IFRS S1号に相当する基準を2つに分けています。基本的な事項は「適用基準」として定め、コア・コンテンツは「一般基準」として定める提案です。この関係は、SSBJがわかりやすく図示しています(図表1)。
山田:さきほどお話ししたとおり、SSBJの公開草案には基本的にISSB基準の内容がそのまま取り入れられており、サステナビリティ会計基準審議会(SASB)の基準や産業別ガイダンスの参照が求められています。また、自社の温室効果ガス(GHG)排出量「スコープ1、2」に加え、供給網の排出量「スコープ3」の開示が求められます。
矢農:スコープ3の開示は気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の提言でも求められていましたが、TCFD提言には強制力がありませんでした。SSBJ基準は金融商品取引法に基づく法的枠組みに組み込まれることが想定されていますので、その場合には法的強制力をもつことになりますね。
山田:一方で、SSBJが公開草案を公表する少し前に公表された米国SECの気候関連の開示規則では、スコープ3の開示が要求されなかったことが注目されました。国によって方針の違いが生じてきています。
矢農:たしかに、スコープ3開示は重要な論点の1つです。スコープ3は自社以外の供給網からの排出量の報告ですので、企業の開示負担が大きくなります。一方、スコープ2については、SSBJはISSB基準と異なる取り扱いを提案しています。ISSB基準では、地域などでの平均的な排出係数を使うロケーション基準に基づく開示を行ったうえで、再生可能エネルギーの利用などによる企業の排出量削減のための取り組みを示すために、契約証書に関する情報を開示する必要があります。しかし、SSBJ提案では契約証書に関する情報に代えて、再生可能エネルギーの利用などによる排出量削減を織り込んだ測定値であるマーケット基準に基づく開示を行う選択肢も示されています。
山田:さらに、地球温暖化対策の推進に関する法律(温対法)では、一部のGHG排出量を1月1日から始まる暦年で算出する必要があることなどから、3月決算企業では算定期間が最大15カ月ずれる可能性があります。SSBJでは、期間の差を1年以内にする上限などを設けるべきだとの議論もありましたが、審議の結果、公開草案では温対法に基づく報告値を使用する場合には直近のデータを使うことを求めています。ただし、期間の差が1年を超える場合は所定の開示が必要となります。
矢農:SSBJ基準の強制適用時期については、今後法令で定められることが想定されるため、SSBJ基準では定めない提案となっています。また、任意適用については、確定基準公表日以後終了する年次報告期間に係るサステナビリティ関連財務開示からの適用を認めることが提案されています。
山田:想定されるスケジュールは(図表2)に示したとおりです。ポイントは、2025年3月31日までに基準が確定した場合、2025年3月決算から適用可能となることです。これは企業の早期開示に関するニーズが考慮された結果だと理解しています。ただし、適用する場合、テーマ別基準の「一般基準」と「気候基準」は同時に適用しなければならないことに注意が必要です。
矢農:SSBJ基準が強制的に適用される企業の範囲については、「グローバル投資家との建設的な対話を中心に据えた企業、すなわち、東京証券取引所のプライム上場企業またはその一部から始める」という方針※4のもと、詳細については金融庁の金融審議会の「サステナビリティ情報の開示と保証のあり方に関するワーキング・グループ」で議論されることになっています※5。日本企業がまずすべきことは、自社がSSBJ基準の適用対象となるかどうかを見極めることでしょう。
山田:一方で、当局による議論の動向を見据えつつ、開示の準備を進める企業もあると思います。社内にないものを開示することはできませんので、まずはサステナビリティ関連のリスクと機会をマネジメントする経営体制を構築し、推進していくことが必要となります。
矢農:具体的には、コア・コンテンツとなる「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標および目標」の4つの柱の視点から推し進めていくことが考えられます。4つの柱に基づく開示は2023年3月期の有価証券報告書から求められていますが※6、SSBJ基準においてはそれぞれの柱ごとに、開示すべき内容がより具体的に定められることになると想定されるため、現状でどのような開示ができるかを想定してみることから始めるのもいいでしょう。
山田:そうですね。「現状(as-is)」と「あるべき姿(to-be)」のギャップが識別されたら、必要に応じて、体制やリスク、機会の管理のための対応の改善を行っていくことになります。これはサステナビリティ開示全般に言えることですが、求められるのは開示であっても、開示を通じて企業の対応を促すという側面があります。SSBJ基準により開示内容がより具体的に定まれば、事実上求められる企業の対応も、より具体的なレベルで定まることになります。
矢農:気候関連については、TCFD提言に基づく開示を行っている企業は、これをベースとすることができます。ただし、TCFD提言に基づく開示を行う企業であっても、必ずしも全ての提言項目の開示を行っていないことがあるため、SSBJ基準においては原則として全ての要求事項に準拠する必要がある点に留意が必要です。一般的に、シナリオ分析やGHGのスコープ3排出量の開示のハードルが高いと思われます。
山田:そうであれば、同じTCFD提言の賛同企業であっても基準化により受ける影響の度合いはさまざまになりそうですね。加えて、SSBJ基準においてはISSB基準と同様に、TCFD提言において選択が認められた開示の選択肢を狭めたり、追加的な開示要求を定めたりしているものがあります。このため、TCFD提言に基づく全ての項目の開示を行っている企業であっても追加的な対応が必要になる場合があります。例として、ロケーション基準に基づくスコープ2排出量や産業別指標の開示が挙げられます。
矢農:このような開示への対応として、企業としての体制を構築していくには経営陣の関与が必要になります。多くの企業はすでにサステナビリティ課題への対応を経営課題の1つと位置付けて対応を進めています※7。
山田:これから信頼性のある法定開示を行っていくためには、一定のプロセスの整備が必要です。金融商品取引法に基づく開示は法律に基づくため、一定の信頼性のある開示を行うことができるよう、開示内容の決定、情報の収集、集約および開示情報作成のためのプロセスとともに、それぞれの段階で必要なチェックがなされるようなプロセス(内部統制)を整備していく必要があります※8。将来的には第三者による保証が求められると想定されるため、最終的には第三者保証に耐え得るレベルを目標とするのがよいでしょう※9。
矢農:法定開示に加え、欧州や米国の規制にも注意が必要です。日本企業のなかには、法定開示に加え、冒頭でお話しした欧州のCSRDや米国のSEC規則の適用対象となる企業があります。このような企業は各制度の要求事項を分析し、必要な時期に必要な情報開示ができるように、綿密な計画を組んで対応する必要があります。
山田:おっしゃるとおり、国外の法規制の動向にも留意する必要がありそうです。(図表3)に示しているように、現時点では各制度の考え方や開示要求事項が異なっています。1つの制度に基づく開示を他の制度の開示にそのまま利用できないため、多国籍企業を中心とした複数制度の開示が求められる企業の開示負担が重くなることが世界的に懸念されています。これは相互運用可能性(interoperability)の問題と呼ばれていて、基準設定者間で調整が試みられてはいますが、その解決は容易ではありません。今後、この問題がどこまで解決が図られるのかについて注目していく必要があるでしょう。
対談中の英文略称の正式表記は以下のとおり
・CSRD:Corporate Sustainability Reporting Directive
・ESRS:European Sustainability Reporting Standards
・SEC:Securities and Exchange Commission
・ISSB:International Sustainability Standards Board
・IOSCO:International Organization of Securities Commissions
・IFRS:International Financial Reporting Standards
・SSBJ:Sustainability Standards Board of Japan
・TCFD:Task Force on Climate-related Financial Disclosures
・SASB:Sustainability Accounting Standards Board
※1 サステナビリティ情報開示の重要性についてはPwC’s View第38号の記事「サステナビリティ情報開示の動向」を参照。
※2 2024年4月、SECは、係争中である法的異議申立の「秩序ある司法的解決を促進する」ため、気候開示規則を一時停止した。SEC規則についてはViewpoint解説を参照「SECが気候関連開示規則を採択(2024年4月4日アップデート)」。
※3 詳細はViewpoint解説「カリフォルニア州の気候開示法案はグローバルに影響を与える(2023年11月9日アップデート)」を参照。
※4 2024年2月6日開催 第30回サステナビリティ基準委員会にて、金融庁企画市場局 企業開示課長より「グローバル投資家との建設的な対話を中心に据えた企業、すなわち、東証のプライム上場企業またはその一部から始めることが必要と考えられる」との説明がなされた。
※5 2024年5月14日の第2回会議および2024年6月28日の第3回会議では、プライム上場企業を時価総額で分類し、2027年3月期から順次、SSBJ基準の適用を義務づける対象を拡大していき、2030年代には全てのプライム上場企業に義務付ける案が事務局より示された。具体的には、時価総額3兆円以上、1兆円以上、5,000億円以上に分類する案となっている。保証のあり方も今後の検討課題となっている。
※6 有価証券報告書で気候変動情報を任意開示している企業の開示状況については、PwC’s View第42号の記事「有価証券報告書における気候変動開示の分析」を参照。
※7 PwCが2023年に実施した世界CEO意識調査では、日本のCEOが、社内外のステークホルダーから脱炭素化への対応を強く求められている現状が伺える。
※8 内部統制については、PwC’s View第48号の記事「企業の温室効果ガス排出量算定における内部統制構築」を参照。
※9 第三者保証を受けるにあたって企業に求められる対応については、遠藤英昭・吉田智紀「保証実務の現場から:①監査法人の保証」『企業会計』(Vol.76 No.6, 2024)を参照。
PwC Japan有限責任監査法人
パートナー 執行役員 基礎研究所所長
矢農 理恵子
PwC Japan有限責任監査法人
パートナー 基礎研究所副所長
山田 善隆