{{item.title}}
{{item.text}}
{{item.title}}
{{item.text}}
プロフェッショナルレフェリー
西村 雄一 氏
PwCあらた有限責任監査法人 執行役副代表
アシュアランスリーダー/監査変革担当
久保田 正崇
未来を創るDX
~デジタルが加速させる社会のトランスフォーメーション
真のデジタルトランスフォーメーション(DX)は、個々の企業の効率化や価値創出を可能にするだけでなく、社会を大きく変える力を持っています。
本シリーズでは、DXを通じて社会におけるさまざまな課題に取り組み、新たな未来の創造を目指している企業・組織のキーパーソンに、変革実現までのチャレンジや課題克服のアプローチを伺いながら、単なるデジタル活用にとどまらない社会にとってのDXの意義を探ります。
サッカーの「レフェリー」と企業の「会計監査人」──何の関わりもなさそうなこの2つの仕事には、場数を踏み経験を積むことで不正をより適切に検出し、フェアな活動を後押しするという共通点があります。そして、いずれの業界にもデジタル化の波は押し寄せており、サッカーでは映像を活用する「VAR」(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が導入され、監査ではAI(人工知能)利用の可能性が拡大中です。そこで今回は、日本サッカー界を代表するレフェリーの1人である西村雄一氏と、PwCあらた有限責任監査法人執行役副代表の久保田正崇が、レフェリーと監査人というそれぞれの仕事とテクノロジーの関係を論じるとともに、人が果たすべき仕事の本質や、デジタルと人との理想的な関係について語り合いました。
久保田:
私ども公認会計士(監査人)の仕事は、企業が開示する情報に対して「ジャッジ」を行い、フェアな開示を担保することです。ややくだけた言い方をすると「企業が世に出す情報が、ルールに照らして○か×か」を判定するのが任務です。とはいえ、“ルール”をそのまま実務に適用できるケースはむしろまれで、黒でも白でもない「グレー」な事象に対し、さまざまな要素を勘案して「○か×か」を判じることになる──それが実態です。
ピッチ上のレフェリーの仕事も、単純にルールを当てはめているというよりは、その場の全体の流れや選手の性格などを含めて、実際に判断されているのではないか、と思ったのですがいかがでしょうか。
西村:
よく似ています。レフェリーは英語で「referee」、つまり「委託(refer)された人」という意味になります。サッカーではジャッジをレフェリーの主観に委ねることがゲームの前提になっており、その決定が正しかろうとなかろうと、選手も監督もリスペクトしなければなりません。
サッカーの試合でレフェリーがジャッジを下すプロセスを分解して、いまお話のあった監査人のお仕事と「どう似ているか」を説明してみると、レフェリーはまず事実を見た上で、一方的な決めつけにならないように留意しながら、何が起きたかを見極めます。さらにその見極めから、客観的・多面的な視点を踏まえた自分の主観を導き「判断」し、競技規則に照らし合わせて「判定」を下します。
具体的には、「事実としてこういうことが起きた(見極め)。分析に導かれた主観を用い(判断)、ルールに照らし(判定)、事象の発生した地点に応じて“直接フリーキック”または“ペナルティキック”を与え、状況・事象に応じて懲戒罰(警告・退場)を示す(決定)」といった内容です。この「判定」を、笛やカードで表現し、アウトプットする──これが最終的な「決定」、すなわちジャッジになるという流れです。
久保田:
レフェリーがジャッジを下すまでには、起きた事実を見極める「判断」、競技規則(ルール)を適用する「判定」、そして意思表現としての「決定」の3段階があるのですね。
西村:
さらに言うと、世間では「レフェリーの仕事=ジャッジ」と捉えることが多いのですが、実は仕事の「本質」として、「マネジメント」の要素も大きいのです。例えば、いまファウルを犯した選手は、すでにイエローカードを1枚もらっているという場面。「今回のファウルが警告にふさわしいかどうか。ここでイエローカードの決定を下せば、累積警告による退場となり、ゲームに決定的な影響を与える。それにふさわしい不正行為かどうか」。多くの人に納得していただける最終的な「決定」を下すことを意識しています。
「決定」を巡るこの部分は、“ルール”をただ厳格に当てはめるのとはやや異なるアプローチです。最終的な「決定=ジャッジ」の直前に、「エンパシー(共感)」というマネジメントフィルターを通すことで納得感が高い「決定」になるといえるでしょう。また、「決定」の後には抗議などのリアクションが起きることが多いので、それを予測したマネジメントが必要になります。
久保田:
1つのジャッジでゲームそのものが壊れることもある。そんな状況を見通して、全体の流れをマネジメントするということですね。
同様の過程を監査の世界では「イシューマネジメント」と呼びます。監査に関する最終的な決定は監査人に委ねられており、「不適正」と判定する場合には、当該企業の経営陣を説得しなければなりません。監査の判定次第ではその企業が市場から“退場”(上場廃止)となるケースもあります。局面だけでなく、その後への影響を含めてマネジメントするという点で、今のお話と通じるものがありますね。
西村:
国際大会ではレフェリーの役割として「convince everybody」(みんなに納得してもらう)という言葉をよく使います。要は自分を納得させるよりも、周りが納得できるかどうか。厳しい判定でも選手本人の納得感が高ければ、チームや観客など関係する人々全員の納得につながります。
久保田:
利害関係者(ステークホルダー)に納得してもらうためには「アカウンタビリティ」(説明責任)が大切ということですね。ですが、事実や状況に照らして妥当な判定を下し、さらに説明を尽くしたとしても、観客からブーイングを浴びることはありますよね。
西村:
ええ。レフェリーのジャッジが批判され、ときに議論を呼ぶことはあります。しかしそれもエンターテインメントの一部と捉えるのが、世界のサッカー界のコンセンサスです。
レフェリーの仕事の本質という意味でもう1つ付け加えると、私たちの仕事は「sell the decision」(決定を売り込む)という一面もあります。つまり、「私たちの判定でゲームはより公平・公正になります。納得してくれますか?」と選手に提案する。それに対して選手が「あなた方のジャッジなら」と受け入れてくれれば、その試合は最後までスムーズに運ぶのです。
レフェリーに求められるマネジメントは、単なる管理ではなく、ゲームが良い方向に向かうための「manage to do」、つまり「なんとかして実現する」であるべきです。勝ち負けにレフェリーは関係なく、記憶に残るのはその選手たちの輝きであってほしい。選手たちが試合後に「充実した内容のゲームだった」「次の対戦も楽しみだ」と感じ、観客に「面白かった。この試合を見に来てよかった」と思ってもらうためのマネジメントです。その意味で、レフェリーは目立たず、試合終了後は皆さんの記憶に残らないことが理想です。
久保田:
その点は監査人もまったく同じです。サッカーの主役が選手であるように、資本市場における主なプレーヤーは企業と、その株式を保有・売買する投資家です。監査人は適切なコミュニケーションを通じてその両者から納得を引き出し、公開情報の適正性を担保することで公平・公正な市場の発展に貢献します。主役である企業と投資家の納得を十分に得られず、結果として監査人が目立ってしまうのは最悪のケースです。
ジャッジに納得してもらうには、信用・信頼を積み重ねるしかありません。“主役たち”との信頼醸成が大切なのは、レフェリーと監査人、共通していそうですね。
西村:
同感です。サッカーのレフェリーが1シーズンに同じチームの試合を担当するのは、多くても1~2回。同じ選手と同じピッチに立てる試合は、10年間でもせいぜい20回弱でしょう。機会が限られているからこそ、1試合ずつ着実に信頼を得るしかありません。ですから新人レフェリーとベテランレフェリーとでは、選手が寄せる信頼に大きな差があります。
久保田:
監査も基本的に年に1回なので、監査人が企業との信頼関係を築く機会は限られています。監査を初めて担当した年度には十分な信頼をなかなか得られないものですが、10年も経つと信頼関係が築かれ、どんなに厳しいことを申し上げても信頼して受け入れてもらえるようになります。逆に、信頼に背くようなことを監査人が一度でもすれば、当然、良い結果につながりません。
西村:
本物の信頼を得るには時間がかかり、失うのは一瞬ですものね。ですから、レフェリーには「正直さ」が重要な資質として求められます。レフェリーは、試合中に起きた事実を見逃すこともあります。もしそこで、その場を取り繕うような不誠実な振る舞いをすれば、築き上げてきた信頼関係はたちまち壊れてしまう。ジャッジをミスした時、「ごめんなさい。間違えました」と率直に詫びることは極めて大切です。
久保田:
PwCでも大切にしている「インテグリティ」(誠実さ)ですね。間違っていた時にちゃんと謝れるかどうか、というのはものすごく重要です。フェアな経営を担保する監査人にも高いインテグリティが求められます。信頼関係を守る上で非を認めることの大切さはよく理解できます。
“主役たち”との信頼醸成が大切なのは、レフェリーと監査人、共通していそうですね。
久保田:
Jリーグでは2021年シーズンからVARが本格導入されました。フィールドに立つレフェリーをサポートする目的で、他の審判員が別室で映像を確認するシステムですね。VARの導入にはどのようなメリットが考えられますか。
西村:
明らかなジャッジミスをなくせることが最大のメリットです。VARを採用したプロの試合では、10台以上のカメラがピッチを捉えます。どこで何が起きても、何台かのカメラがほぼ確実に事象を記録しており、主審の死角で起きたことでも確認できます。選手数人の位置関係がcm単位で問われるオフサイドについても、カメラ精度の向上や、多角度からの映像記録を統合する技術の進展により、瞬時に、そして正確に把握できるようになりました。私は自分の間違いによって選手の運命を変えてしまうということは一番避けたいと思っているので、ビデオで見直して「訂正します」と言えるのは良いことだと思います。
久保田:
技術革新により事実が一目瞭然になったわけですね。監査の世界でもAIを活用することで、膨大な会計データの中から疑わしい箇所をリストアップし、効率よく調べることが可能になってきました。サッカー界において、最新のテクノロジーを駆使するVARが現場にもたらした変化は、どのようなものでしたか。
西村:
かつては、レフェリーが権威を振りかざし「とにかく自分の言うことを聞け」と、力ずくでゲームをコントロールする時代もありました。しかし現在は、「良いゲームをつくる」という全員共通の目標のために、審判は選手と協調する方向を目指しています。
VARで事実を正確に確認できるようになったことは、この潮流に大きく寄与しました。勝敗に直結する場面で「今のジャッジは違う!」と選手から指摘されても、ピッチ上のレフェリーが判断できる限界を超える事象もあり、VARを用いることで、選手・監督・観衆の納得感が得られる決定を実現できるようになったのです。
久保田:
監査でも、以前はルールをそのまま当てはめた「ジャッジ」を、一方的に企業に押しつける側面があったことは否定できません。現在では、「質の高い、適正な財務情報の開示こそが監査の目的であり、その目的達成のために監査人と企業は手を携えて歩むもの」という認識が浸透しています。
西村:
その点でも、監査人とレフェリーの仕事は共鳴しますね。そもそも、ルールはジャッジする側のためのものではありません。ゲームに参加するプレーヤーのためにあるのですから。
1972年生まれ。公益財団法人日本サッカー協会(JFA)と契約するプロフェッショナルレフェリー。Jリーグだけでなく、国際大会のジャッジ経験も豊富。2012年にAFC Referee of the Year (Men)、2016年に文部科学大臣スポーツ功労者顕彰(スポーツ審判員)、2020年Jリーグ最優秀主審賞(11回目)を受賞。
1997年青山監査法人入所。2002年から2004年までPwC米国シカゴ事務所に駐在。帰国後、2006年にあらた監査法人(現PwCあらた有限責任監査法人)に入所。国内外の企業に対し、特に海外子会社との連携に関わる会計、内部統制、組織再編、開示体制の整備、コンプライアンスなどに関する監査、および多岐にわたるアドバイザリーサービスを得意とする。企画管理本部長、AI監査研究所副所長を兼任。
※ 法人名、役職、本文の内容などは掲載当時のものです。