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建築家、東京大学特別教授・名誉教授
隈 研吾 氏
PwC Japan グループ代表
木村 浩一郎
全世界の人々の健康と生命を脅かす新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の脅威を前に、私たちは経済成長の追求のみを目的とした、効率性を優先する社会システムの見直しを迫られています。ただ、これは必ずしも悲観のみを強いられる局面ではなく、私たちはこれまでに生じてきたさまざまなゆがみを検証し、修正するための機会を得たのだと考えることもできるのではないでしょうか。国立競技場や高輪ゲートウェイ駅などの設計に携わった建築家の隈研吾氏は、人々や生物の営みの場を空間に誕生させながら、あるべき社会の未来を世に問い続けてきました。隈氏とPwC Japanグループ代表の木村浩一郎が、現代の多様な課題を俯瞰し、豊かな未来を創造する手立てについて議論を交わしました。
木村:
COVID-19は、人々の健康への脅威やビジネス上の機会損失といった直接的な被害に加え、以前から起こり始めていた変化を加速させ、社会の変容を促していると感じます。働き方の変化も、デジタルディスラプション(デジタル技術による創造的破壊)も、社会の分断も、COVID-19以前から水面下で生じていました。世界的な感染拡大を機に、その状況が急速な勢いで顕在化したのではないでしょうか。
隈氏:
確かに、すでに始まっていた変化が加速したというご指摘には同感です。
木村:
そうしたCOVID-19以前から徐々に進んできた変化の中でも、既成の仕組みや枠組みに対する信頼が世界的な規模で失墜し、これまでの形では成り立たなくなり始めていることに、私は特に注目しています。大都市への一極集中しかり、そこで働く中間層と呼ばれる人たちを中心に構築された成長モデルもしかりです。
隈氏:
そのご指摘を建築家の視点から整理してみましょう。もともと、人間は小さくて開かれた「箱」の中で暮らし、働いていました。しかしやがて、人間をもっと効率的に働かせるためには大きくて閉じた箱に詰め込んだほうがよいという発想が生まれます。大きな箱であるビルがいくつも作られ、それらが都市に集中し、20世紀初頭には超高層ビルが誕生しました。大箱に詰め込まれたのは主に中産階級の人々で、彼らがそこで効率的に働くことが経済成長のエンジンとなり、経済成長が人間の幸せにつながると信じられるようになったのです。これを私は「大箱モデル」と呼んでいます。一直線に進んできたその流れに、COVID-19が疑問符を突きつけたのが、今の状況ではないでしょうか。
木村:
そうした大箱モデルで都市が発展を遂げてきたことが、地方との格差や分断などを生み出す要因の1つにもなってきたわけですね。私たちPwCは、都市や経済の発展などに起因するこうした多様な変化の様態を「ADAPT」というキーワードを用いて洞察しています。「A」は、貧富の差や中間層の衰退による機会の不均等などを示すAsymmetry(非対称性)。「D」は、AIなど革新的なテクノロジーが広がり、個人や社会に破壊的な影響をもたらすことを意味するDisruption(破壊的な変化)。次の「A」は、少子高齢化や人口の偏りなどを表すAge(人口動態)。「P」は、国家や社会、人々の間で生じるさまざまなPolarization(分断)。「T」は、社会の仕組みや枠組みに対するTrust(信頼)の揺らぎを意味します。COVID-19はこのADAPTの動きを一気に加速させたと考えています。
隈氏:
興味深い分析です。今、木村さんが列挙された急激な変化の下地として格差や分断を生む装置となったのが、戦後の経済成長でエリートの象徴と化していった超高層建築のような大箱であり、その大箱を見上げる人々や、大箱に入った人々の心に形成された「高層ビルに入れる人ほど偉い」というヒエラルキーでした。しかし、インターネットでつながることにより時間や空間の制約がなくなってくると、大箱に詰め込むことが効率的とは言えず、むしろ詰め込まれることでストレスが増しています。大箱に入る人たちはもはや「幸せな中産階級」ではなくなり、大箱モデル自体が破綻するほど、格差が深刻化しています。
木村:
大箱モデルという枠組みへの信頼が失墜し、今まで機能してきた社会の仕組みが成り立たなくなったとき、企業や個人はどこへ向かって進めばよいのでしょうか。
隈氏:
こう考えてみるのはどうでしょう。大箱モデルが社会に深く強固に浸透していた時代、いったん箱の外に出た者は脱落者とみなされました。しかし今、人は箱の外に出ることで、そこでどのように振る舞っても構わない自由を手にできる時代になったのだ、と。都市の外部には広大な地方がありますから、そこで新たな居場所を見出せばよいのです。米国西海岸辺りのクリエイティブな企業などは早くからそのことに気づき、大箱から出て古い住宅を改装して事務所にしたりしていました。今や多くの人たちが同じ気づきを得て、大箱モデルの外に向かって走り出したような状況になっていると感じます。
木村:
そうした発想の転換ができると素晴らしいですね。ただ、社会全体を俯瞰すると、自由よりも不安をより強く感じる人や組織が多いように見えます。
隈氏:
もちろん不安はあるでしょう。しかし、大箱モデルの全盛期に脱落する不安と比べれば、今私たちが直面している状況下での大都市集中からの離脱には、それほど深刻な不安はないはずです。なぜなら、人間どうしをつなぎ、ある種の絆を構築できる新しい技術や道具を、私たちはすでに手にしているからです。
木村:
確かにそうですね。インターネットをはじめとするデジタルコミュニケーション技術を駆使することで、今の私たちは多面的なつながりを築けるようになりました。その一方で、デジタル技術を介したつながりにはまだ課題があるようにも思います。
一例ですが、対面で実施する会議に一部の参加者だけがリモートで参加するといった場合、リモートで参加する少数派の存在感が希薄になり、オフィスにいる人たちとの間にある種の境界というか、心理的なギャップが生じてしまうことがあります。会議室とオンラインのコミュニケーションを超えて、全員がつながり合っているという一体感が得にくいのです。テクノロジーだけではなく、このようなギャップを埋めるプラスアルファが必要だと感じます。
隈氏:
そこで鍵になるのは多様性です。木村さんが述べられた「ある種の境界」というのは、そこに何らかの分断・分裂が生じている状態と言えるでしょう。しかし組織にもともと多様性が備わっていれば、一様で均質な組織とは対照的に、分断や分裂が問題になることは少ないはずです。
私たちの事務所がまさにそうです。スタッフの国籍は28カ国、働く場所も東京・パリ・北京・上海の拠点に分散している上、沖縄県の石垣島や富山県、北海道などの建築現場に常駐している者もかなりの割合でいます。その分、「東京の箱」の中心性はそもそも希薄だったのです。COVD-19以前からそれだけ多様性に満ちあふれた状態で仕事をしていたおかげで、感染拡大後の変化にも容易に対応できました。世界では今後も気候変動や疫病など、今回のCOVID-19を超えるような災厄がいつ起きて、社会にどのような混乱をもたらすか分かりません。したがって、組織を構築する段階から人間的な多様性やロケーションの多様性を組み込み、抵抗力や免疫力を高めておくことが大切だと思います。
組織を構築する段階から人間的な多様性やロケーションの多様性を組み込み、抵抗力や免疫力を高めておくことが大切だと思います。
木村:
ご自身の事務所という実例を踏まえたお話に説得力を感じます。そうした多様性を組織に取り込み続けるための継続的な仕組みや、異なる者どうしが互いを尊重し、その違いこそが価値を生むのだという意識を企業文化として日頃から育んでおくことが重要ですね。
隈氏:
ええ。そんな底流の水を絶やさないよう、私たちは人事採用においても多様性を重視してきました。例えば、建築の勉強をした後に大工として修業してきた米国人など、経歴のユニークさを評価して採用したスタッフが多くいます。人事計画として、組織に多様性を内包させてきたのです。とはいえ、それは組織を強靭にするためである以前に、多様な人間がひしめいていたほうが仕事をしていて楽しいから、というもっと単純な理由だったのですが。結果的にとてもよかったと思っています。
木村:
さまざまなバックボーンの人材がひしめき、多様性に満ちあふれた組織では、人事評価の難しさもあるのではないですか。
隈氏:
そこは重要なポイントです。設計業界では、人事評価でプロジェクトの利益率を最も重視するのが一般的です。しかしそのやり方では、利益率の低下が自分の低評価につながることを恐れるようになり、時間をかけてこだわった設計をする人、「おもしろい」建築を作ろうとする人がいなくなって、どうしても作品としての質が低下してしまいます。これはクリエイティブなビジネスにおいては致命的です。そこで私たちは、利益率を一切計算しないことにしました。その人が作ったものを私が見て、「これは!」と感じる何かが刻印されているかどうかで評価をしています。設計業界でこうした評価をしている会社は、日本では私たちのほかにほとんどいないはずです。
木村:
それは興味深い取り組みですね。設計の世界に限らずほかの産業界でも、長きにわたって、売上や利益などの財務価値が企業や人を評価する第一義の基準とされてきました。一方で今、その価値体系に起因する数々のひずみへの反省から、財務価値のみにとらわれないESG(環境、社会、ガバナンス)やSDGs(持続可能な開発目標)といったより包括的な価値観を評価に取り入れる流れが生まれてきました。とはいえ、まだその価値をうまく咀嚼できずに戸惑っている企業が多いのが実情ですが。
隈氏:
SDGsは建設業界でもある種のトレンドになっています。ただ、SDGsやESGも基本的には市場価値を測るための統一的な指標であり、そうした指標には必ず時代に応じた流行り廃りが生じますし、そこからこぼれ落ちる価値もたくさんあります。私たちのように新しいものを創り出す仕事に携わる人間は、そんな指標からこぼれ落ちる価値にこそ、いつも注意深く目を向けるべきだと思うのです。
木村:
世相に流されることのない価値の追求という観点では、隈さんの事務所が手がける作品には、いずれも時代の扉を押し開けた先の世界を指し示すような、一貫した思想性を感じます。多様な個性を内包する組織は、ともすると個性が拡散してバラバラになりかねないものです。隈さんはどのようにリーダーシップを執り、多様で個性的なスタッフの方たちに対して方向性を示しているのですか。
隈氏:
その回答はシンプルです。リーダーである私自身が何をしたいかを頻繁に発信し続けるのです。例えば、「先週完成したこの建物で、私は借景となるあの山との調和を重視していた。うまくいった部分もあったが、もう一歩のところもあった」と、自分の仕事に対する考えや目標を率直に発信します。すると、それを受け取ったスタッフたちは「この事務所では、利益だけを追い求めても評価されないのだな」と、自然に理解してくれるのです。ただ、事務所のスタッフの規模が100人を超えると、直接全員に伝えることは難しくなりました。そこからはインターネットの活用が強い武器になります。海外のオフィスや地方の現場にいるスタッフも含め、インターネットでメッセージを頻繁に配信することが、効果を発揮しています。
木村:
「絶えざる発信」が、隈さんのリーダーシップの勘どころなのですね。「発信型」であることの重要性は、広く企業一般でも指摘されるところです。企業が自社の価値観を発信するにあたっては、共感が欠かせません。従業員からの共感はもちろんのこと、さらに広く社会からの共感を得ることが重要だと思います。隈さんの事務所では、大規模建築・公共建築も多く手がけられていますので、共感をなおさら重視されているのではないでしょうか。
隈氏:
おっしゃるとおり、共感は非常に重要です。自分たちが建築を通して実現したいことが社会から共感を得られなければ、会社は前に進めません。ですから、設計した建物が社会のニーズと合っているのか、それを使う人たちや周りに暮らす人たちの共感を得られているのかについては、常にアンテナを張って注意を傾けています。プロジェクトの担当者に、自分たちの建築がどう受け止められているのかについて必ず聞き取り調査を実施させるのです。アンケート用紙を配って回収するだけでは本音を聞けないので、必ず現地に足を運んで話を聞きます。建築物を作ると、よいリアクションだけでなく、やはりマイナスの反応もありますから、できる限りそれらを拾い上げたレポートを提出してもらいます。私たちはこれを「マルバツレポート」と呼び、全員で共有しています。これまでの建築の評価は、建築雑誌に紹介されるかどうかといったような、ある意味で実社会から乖離した軸しかありませんでした。「マルバツレポート」を始めたことでリアルな社会の共感を可視化でき、それを全員にフィードバックして次のデザインに取り組めるようになりました。
木村:
形式的なアンケートではなく、肉声で語られるエピソードとして情報を集めることがポイントなのかもしれませんね。ビジネスの世界でも顧客満足度調査が盛んに行われますが、それだけでは本当に期待されていることが見えない場合もあります。一般の企業にとっても有益な取り組みだと感じます。
1954年生まれ。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。慶應義塾大学教授、東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。国内外で多数のプロジェクトが進行中。国立競技場の設計にも携わった。主な著書に『点・線・面』(岩波書店)、『ひとの住処』(新潮新書)、『負ける建築』(岩波書店)、『自然な建築』、『小さな建築』(岩波新書)、他多数。
1963年生まれ。1986年青山監査法人に入所し、プライスウォーターハウス米国法人シカゴ事務所への出向を経て、2000年には中央青山監査法人の代表社員に就任。2016年7月よりPwC Japanグループ代表、2019年7月よりPwCアジアパシフィック バイスチェアマンも務める。
※ 法人名、役職、本文の内容などは掲載当時のものです。