{{item.title}}
{{item.text}}
{{item.title}}
{{item.text}}
PwC Japan グループ代表
木村 浩一郎
建築家、東京大学特別教授・名誉教授
隈 研吾 氏
建築家の隈研吾氏とPwC Japanグループ代表の木村浩一郎による対談の前編では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大がもたらした社会変容の中から浮上してくる、新しい社会が目指すべき姿を分析しました。後編では、議論が国立競技場のデザインコンセプトに及びます。「小さな物の、水平的で、ヒエラルキーのない集合体」──。このコンセプトは、突出したものを築いて世界の頂点を目指すような、競争原理をベースとする考え方とは対照的です。現代の日本に生きる人々の心象、そして日本社会が本来備えていた強みにも通じるものであると隈氏は説きます。
木村:
ニューノーマルとも言われるこれからの時代は、デジタル化を通じて既存のモデルを変革し、そこから新たな価値を生み出す、いわゆるデジタルトランスフォーメーション(DX)が重視されます。しかし企業においては、書類を電子化しただけ、会議がリモート開催になっただけであるなど、働く人のマインドや業務の本質が変わっていない状況も見受けられます。本来、デジタル技術は道具にすぎず、その道具を使っていかに豊かな社会を形成するか、いかに人を幸せにできるかを求めなければ、新たな価値は創造できないと考えています。隈さんの建築家としてのお仕事の周辺では、DXがどのような変化をもたらしましたか。
隈氏:
建築業界ではデジタル技術が入ってきたとき、図面から手描きのニュアンスがなくなって作品自体にも味気がなくなるといった否定的な意見が数多くありました。ですが、私はそう思いませんでした。建築のプロジェクトは、構造・耐震・空調・環境設計など、さまざまなエンジニアと一緒に作り上げるものです。昔は私たち設計者が描いた図面をパッケージで渡し、構造計算をしてもらっていました。そのため、構造上の問題を指摘されると設計を一からやり直さなければならず、多大な労力と時間がかかったものです。しかし、今ではオンラインでエンジニアの方々とリアルタイムでやりとりができるので、設計の効率や質が飛躍的に向上しました。これはある意味、私たちのデジタルの使い方が人間を幸せにすることに役立っている一例だと思います。デジタル技術は人間や組織を幸せにするツールですが、あらゆる道具には正と負の両面がありますから、その道具をどう使うか、それを使って自分たちは何ができるのかを、しっかりと見極めることが大切ではないでしょうか。
木村:
ビジネスの世界でも、生活の場でも、今までに存在しなかったテクノロジーが採用されると、恐れを抱いて遠ざけたり、触れてはみるものの理解できなかったりといった事態が起き、普及が進まないことがあります。一方で、新しいものを前にするとワクワクする期待感が湧いてくることも事実です。恐れる気持ちと期待感は表裏一体のものですから、背中を少し押してあげれば、誰もがワクワクする世界に踏み出せるのではないでしょうか。「背中を押す」「一歩踏み出させる」ための手段としては、知識を新たにインプットするだけでなく、触って感じること、あるいは体験すること、いわゆるエクスペリエンスも必要だと思います。エクスペリエンスを通じて新たなデジタルの世界へ踏み出す一連のプロセスを、私たちは「アップスキリング」として世界中で展開しているところです。建築の世界ではいかがですか。
隈氏:
おっしゃるとおり、建築業界でもワクワクするエクスペリエンスや好奇心が、技術革新の原動力になってきました。歴史を振り返れば、建築様式はそれぞれの時代に応じて変化し続けています。それには政治経済システムへの適応という理由もありますが、やはり現場で変化を後押ししているのは、今までになかった体験を得たいという、エクスペリエンスに対する渇望なんですよね。
例えば今私たちは、働く空間をオフィスの外に持ち出すという新たな体験を実現するために、VRやARの専門家とのプロジェクトを立ち上げています。これには空調の専門家も関わっていて、日差しの強い屋外でも空調の利いたオフィスに勝る快適な空間をどう作るか、といったことを一緒に考えています。「大箱モデル」から脱却して箱の外に出ていくためにも、テクノロジーは強力なツールになりますね。
「背中を押す」「一歩踏み出させる」ための手段としては、知識を新たにインプットするだけでなく、触って感じること、あるいは体験すること、いわゆるエクスペリエンスも必要だと思います。
木村:
隈さんが設計された長岡市役所は、中庭のような空間を真ん中に設け、市民が集まる場になっているとうかがいました。そこには人を惹きつけ、感性を刺激し、創造力を発揮させる建築的な仕掛けがあると推察するのですが、あの空間に込めた思いを教えていただけますか。
隈氏:
市役所に市民広場を設ける発想自体は珍しくありません。ただ、広場と聞いて多くの人が想像するのは、ヨーロッパの石畳でできた空間です。私は硬くて冷たい石の広場ではなく、土間を作りたいと考えました。温かくて軟らかい土のほうが、日本に暮らす人々は集まりやすいと思ったからです。床に土を敷き込んで三和土(たたき)を作り、木漏れ日が差し込むような柔和な採光を計画するなど、空間の質に気を配りました。
中でも最も効果的だったのは、椅子を自由に動かせるようにしたことです。多くの場合、公共空間の椅子と言えば、盗まれないように重いベンチを置いたり、軽めの椅子であれば地面に固定したりするのが普通です。ところが、米国のウィリアム・ホワイトという社会学者が、場所と向きを変えられる可動式の椅子にすると利用者の利便性が高まるという説を唱えました。実際に1992年、ニューヨークのブライアントパークのベンチをすべて可動式の椅子に換えたところ、それまで麻薬取引の場になっていた一角は子どもたちが集う場所に変わったという有名な事例があります。長岡市役所でもその事例を参考に、椅子をすべて動かせる軽いものにしました。すると、グループで人数分の椅子を揃えて集まったり、1人になりたい人は1脚だけ動かして好きなところに運んだりというように、人の集まり方や場の使われ方が大きく変化したのです。ちょっとした想像力が、空間の利用方法まで変えるわけです。
木村:
それはおもしろいですね。建築や空間の設計というクリエイティブな分野ならではのエピソードですが、ビジネスの世界に置き換えても、物事を考えるヒントになりそうです。
隈氏:
そうですね。やはりお客様が何を求めているか、提供する商品やサービスがそのお客様に寄り添ったデザインになっているかどうかが、とても大切なのではないでしょうか。クリエイティビティやアートと言ってしまうと直感的で理解が難しいと感じる人が多いかもしれませんが、基本的には相手に対する想像力なんです。私はそれを「感情移入」と言っているのですが、感情移入ができる人ならば、お客様に寄り添うデザインができると思います。想像や共感、感情移入を、自分と異なる世代、異性、多様な背景のある人たちに対して行うのはハードルが高いかもしれません。それでも、自分の身近にいる家族や友人をうまく練習台にするなどして、他者への感情移入の手立てを自分なりに身に付けることは、とても大切だと思います。
木村:
それは先ほど議論したリーダーシップのあり方にもつながりますね。共感し合えること、そして感情移入できることが、人と人どうしの信頼につながっていくのでしょう。
木村:
2019年に完成した国立競技場について隈さんは、近著の中で「現代の『国立』は、小さな物の、水平的で、ヒエラルキーのない集合体でなければならない」と述べられています。私は、その発想は建築にとどまらず、現在の日本社会の深層で響く通奏低音となっているのではないかと感じました。
隈氏:
おっしゃるとおりかもしれません。1964年に開催された東京オリンピックで丹下健三先生が作られた国立代々木競技場第一体育館は、天に向かってコンクリートの高い支柱が屹立しており、その中心に向かってすべてが収束し、組織化される非常に求心性の高い設計でした。それが当時の時代の空気に合致して、建築史に残る名建築と評されたわけです。それに対して、今の時代の空気はこれとは逆なのではないかと考えました。高いもの、求心的なものをどこかうっとうしく感じ、誰もがそれぞれ好きなほうを向いて、好きなことをしながら、全体的に平和が保たれている状態を希求するというのが、現代の空気なのだろうと思い至ったのです。
今回の国立競技場では、その空気を表現するため、細い木を同じ高さで水平に並べるデザインを採用しました。この空間を体験した方々からは、「森の中で木から葉々が散り落ちてくるような雰囲気」といった感想をいただいています。観客席の椅子も1色に統一せず、5つの自然色をモザイク状に配置しました。今を生きる人たちの感受性は、大きく突出したものや統一された強いイメージに格好よさを見出すのではなく、小さなものたちがそれぞれ自由な形で水平に散らばり、思い思いに安らいでいるような状態に幸福のイメージを読み取るのではないかと私は思います。
木村:
高層の高みを目指すことはせず、森の中の落ち葉のように水平に散らばりながら、かつ、互いにつながり合っているのでしょうね。
隈氏:
そのとおりです。バラバラなのではなく、拘束されることを嫌いながらも緩やかにつながっている。それが、今の日本の人たちが求めている心象風景だという気がします。
木村:
国立競技場も長岡市役所も、隈さんが設計に携わった建築では木や竹、土などの自然素材がしばしば重要な役割を演じていて「日本的なデザイン」とも評されます。やはり日本らしさを意識して設計をなさっているのですか。
隈氏:
意識するというよりも、そもそもの日本の都市の作り方への回帰ということではないかと思います。小さなものが水平に広がるという国立競技場のコンセプトは、高く突き出た巨大なモニュメントはほとんどなく、平屋か2階建て程度の小さな家屋が水平に広がっているという近代以前の日本の風景につながっています。小さな建物が面のように広がりながらも、それぞれの建物がそれぞれの個性を持ち、役割を担う。それが日本の都市や村落のあり方だったのです。ところが戦後、突出したモニュメントを好む西洋的な都市像が持ち込まれて、町も村も変容してしまった。今、時代がひと巡りした末に、そうした外来の価値観に人々が倦み疲れてしまった結果、日本古来の都鄙の姿や、ひいては物事のあり方全般に関して、評価の揺り戻しが来ているのだという気がします。
木村:
今のお話は風景論にとどまらず、日本社会そのものの特性を言い当てているように感じます。ビジネスの世界でも、日本では突出した企業が周辺の競合企業を踏みつぶしながら巨大化するモデルではなく、小さな町工場が個性を発揮し、それらが精緻につながり合うことで、他の誰もまねできない高品質な製品を作り出して発展してきました。そんな日本ならではの強みが、グローバル化の進展に伴っていつしか利益至上主義に席巻され、分断や格差が生じてしまったわけです。しかし、そうした強みがあるからこそ、日本の分断や格差は他国と比べるとまだ小さくて済んでいますし、自然災害時に助け合いの精神が発揮されることにもつながっているのかもしれません。今回のCOVID-19の拡大によって、このような日本社会本来の強みがあらためて試されているような気がします。
隈氏:
海外にも、古きよき日本社会のあり方に憧れを持つ人たちが増えています。海外から私の事務所に仕事を依頼される方々の大半が日本好きを公言していますが、日本的な美意識に対してだけではなく、日本社会全体に漂っている平等で穏やかな感性に憧れを抱いている人が多いようです。
木村:
隈さんが「どうすればお客様が幸せを感じてくれるのか」を強く意識しながら、人々の感性に働きかけるお仕事をされていること、それが建築に限らずビジネス全般に向き合う際に忘れてはならない姿勢であることをあらためて確認でき、多くの示唆を得られました。本日はありがとうございました。
とかく悲観的になりがちな現在の状況の中で、「大箱」の外に出る自由、ワクワクするエクスペリエンス、日本社会の強みなど、前向きなアイデアが次々と出てきて、たいへん勇気づけられる対談でした。同時に、多様性を生かすこと、ユーザーの声に真摯に耳を傾けて共感を得ることなど、大規模な建築プロジェクトを数々手がけられている隈氏ならではのビジネスの本質をとらえた発想に感心するとともに、社会に対する大きなインパクトを持つ建築家という仕事の重みも感じました。「社会における信頼を構築し、重要な課題を解決する」ことをPurpose(存在意義)とするPwCも、変化の時代に臆することなく、多様な人材の力を集結して、信頼と共感を醸成しながらその務めを果たし、皆様から大きな期待をいただけるようにならねばと決意を新たにしています。(木村)
1954年生まれ。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。慶應義塾大学教授、東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。国内外で多数のプロジェクトが進行中。国立競技場の設計にも携わった。主な著書に『点・線・面』(岩波書店)、『ひとの住処』(新潮新書)、『負ける建築』(岩波書店)、『自然な建築』、『小さな建築』(岩波新書)、他多数。
1963年生まれ。1986年青山監査法人に入所し、プライスウォーターハウス米国法人シカゴ事務所への出向を経て、2000年には中央青山監査法人の代表社員に就任。2016年7月よりPwC Japanグループ代表、2019年7月よりPwCアジアパシフィック バイスチェアマンも務める。
※ 法人名、役職、本文の内容などは掲載当時のものです。