セッション2:企業に求められる人権課題への対応と日本政府の人権尊重ガイドラインの解説

2022-12-20

スピーカー

PwC弁護士法人
パートナー代表 弁護士/公認会計士
北村 導人

北村 導人

企業の人権尊重責任が世界的に求められるなか、日本政府は2022年9月に「責任あるサプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン」(以下、ガイドライン)を公表しました。日本企業は今後、どのような対応を講じていくべきなのでしょうか。

PwC弁護士法人の北村導人は、まず国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、指導原則)が策定された経緯について語り、「指導原則には国家だけでなく、企業の人権尊重責任が明示されたことが極めて重要です。具体的な取り組みとして、人権方針の策定、人権デューディリジェンス(以下、人権DD)の実施、救済メカニズムの構築の3つが挙げられています」と解説しました。

指導原則の公表後、欧米諸国における人権関連の法制化や日本政府のガイドラインの発出などの潮流が起こっています。北村はそれら世界的な動きを踏まえ、日本企業においてはまず「人権リスクと経営リスクの概念整理が必要です」としています。

「人権リスクはあくまでステークホルダーが負の影響を受けるリスクであり、一義的には企業のリスクそのものではありません。企業にとってリスクが小さくてもステークホルダーのリスクがあれば対応しなければいけません。人権リスクが誰にとってのリスクであるのか、すなわち企業活動から影響を受けるステークホルダーのリスクであることを適切に理解した上で取り組みを進めなければならないのです」

北村は上記の人権リスクを適切に理解することを前提とした上で、人権リスクを放置すれば、さまざまな経営リスクが生じることを指摘し、「人権リスクから派生する経営リスクは多種多様ですが、一方で企業が人権尊重の取り組みに真摯にのぞめば、サステナブル経営の実現を前進させます」と、その意義を強調しています。

このような人権尊重の取り組みの前提となる理解を述べた上で、日本企業に少なからずインパクトを与える、日本政府のガイドラインの特徴を以下の5つにまとめました。

―業界団体からのガイドラインではなく、日本政府から発出されたガイドライン

―国連の指導原則、OECDのガイダンス、ILO宣言など国際スタンダードに準拠

―人権尊重の意義の明示

―人権尊重の取組指針の明示

―実務への活用を意識した事例やQAの記載

北村は続いて、ガイドラインが示す人権尊重の取り組みにおける5つの重要な指針を以下のとおり指摘し、これら5つの指針を徹底することが極めて重要であることを強調しました。

―経営陣によるコミットメントの重要性

―潜在的な負の影響はいかなる企業にも存在するという認識喚起

―ステークホルダーとの対話の重要性

―優先順位を踏まえて順次対応していく姿勢の重要性(リスクベースアプローチ)

―各企業が協力した上で人権尊重に取り組むことの重要性

では、企業の人権尊重の取り組みにおいて保護すべき「人権」とはどのような権利なのでしょうか。そして、保護すべき対象範囲はどこまで及ぶのでしょうか。

北村は「指導原則やガイドラインで尊重し、保護することが求められている『人権』の範囲は、各国で求められている法令に基づく人権にとどまりません。少なくとも国際人権章典で表明されたもの、あるいはILO宣言に挙げられた基本的権利など『国際的に認められた人権』です」と説明しました。さらに、「時代とともに新しい人権課題が生じるでしょう」と続け、「例えば最近では、インターネット上の名誉毀損やプライバシー侵害、AIアルゴリズム上の差別も人権問題として議論され始めています。また、環境汚染などにより地域住民の人権侵害が生じるなど、環境と人権の問題は密接な関係にあることも認識しなければなりません」と指摘しました。

そして、保護すべき対象範囲について次のように解説しました。

指導原則やガイドラインは、自社内の従業員のみならず、自社バリューチェーン上のステークホルダー全体の人権保護を対象範囲としていると指摘し、「(バリューチェーン上のステークホルダーの中には)自社グループや取引先の労働者従業員だけではなく、顧客、消費者、地域住民、市民社会、人権擁護者、業界団体、NGO、投資家、株主なども含まれます。特に、子ども、女性、外国人、障がい者、先住民族、少数者など脆弱な立場にあるステークホルダーの人権保護には特別な注意を払わなければいけません」と強調しました。

また、人権侵害に対応すべき範囲については、指導原則が企業の関わり合い(企業活動から生じる「負の影響の態様」)につき、「自ら引き起こす(cause)」「助長する(contribute)」「自社の事業・製品・サービスと直接関連する(directly linkage)」の3つの類型があると説明し、それぞれの態様に応じた適切な対応が必要とされると指摘しました。

次いで北村は、指導原則やガイドラインで求められる、企業が実施すべき人権に対する取り組みの具体的な内容について解説しました。

企業が人権尊重責任を果たすためには、「人権方針の策定」「人権DDの実施」「救済・苦情処理メカニズムの構築」を実行する必要があります。そのベースには、「ステークホルダーエンゲージメント」があり、合わせて4つの大きな取り組みが必要となります。

まず「人権方針の策定」は、経営陣の人権尊重責任を果たすというコミットメントです。人権方針の策定にあたっては、指導原則で求められる「企業のトップを含む経営陣で承認されていること」「企業内外の専門的な情報知見を参照した上で作成されていること」「関係者に対して人権尊重の期待が明記されていること」「社内外に周知をしていくこと」「人権方針を定着させるために、事業方針や手続きに人権方針の内容を反映していくこと」の5つを念頭に置くことが必要です。北村は、コミットメントとしての人権方針を適切に策定し、機能させるためには、方針策定前の重要な人権課題の特定に関する初期的検討、策定後の人権方針の事業運営への浸透および人権DDやステークホルダーエンゲージメントを踏まえ、方針の内容を継続的に見直すことが極めて重要であると指摘しました。

「人権DDの実施」は人権尊重の取り組みの中核となります。そのプロセスは「負の影響の特定評価」「負の影響に対する防止軽減措置」「取り組みの実効性評価(モニタリング)」「説明情報開示」のサイクルで構成されます。

最初の「負の影響の特定評価」はさらに「計画立案」「検討対象の特定(スコーピング)」「情報収集と分析評価」のプロセスに分けられます。

北村は、人権DDは最終的には網羅的に行うことが必要であるとしたうえで、リソースなどの制限により、リスクベースアプローチで、深刻度の高い領域から優先的に取り組むなど、適切なスコーピングが重要であることを説明しました。またそのスコーピングに際しては、「バリューチェーン全体を包括的に捉える」「セクター、製品サービス、地域、企業固有の情報や指標を利用してリスクベースで適切に絞り込みをかける」「新規事業地域への進出など変更がありえるので継続的に見直す」の3つの留意点を意識すべきだと説明しました。

また「情報収集」に関しても、「調査対象者によって効果的な情報収集のアプローチや対応すべき部署が異なることを理解すること」「調査対象となる人権課題によって適切なアプローチが異なることを理解すること」「外国人、女性、子ども、障がい者、先住民族、少数者など脆弱層に関する情報を積極的に吸い上げる、もしくは情報提供の場を設けること」などが重要であると指摘しました。

さらに、「情報収集」の際には、「企業との関わり合い(負の影響の態様)の特定に必要な情報収集も意識すべきです」と指摘。その背景として、「原因(cause)」「助長(contribute)」「関連(directly linked)」のいずれに該当するかにより「対応措置の内容に影響するからです」と解説しました。

「分析評価」のプロセスでも、リスクベースアプローチを採ることとなりますが、北村は「その際には深刻度と蓋然性で優先順位を判断すべきです」とし、「経営リスクの大小で判断するのではなく、あくまでステークホルダーの負の影響の重大性で判断するという点を忘れてはいけません」と念を押しました。なお、深刻度は「規模」「範囲」「救済困難度」の3つで構成され、それらを総合して深刻度が高いものから対応すべきとしています。

セッション 2-1

ステークホルダーの人権に対する負の影響を特定できた場合は、適切な「対応措置」をとることになります。自社の活動が負の影響の「原因」となっている場合は、原因となる行為を停止することが原則となります。ただ、事業上・契約上の理由によりただちに停止することが難しい場合は、工程表などを作成して段階的に活動を停止することが必要となります。また、単に行為を停止すればよいというものではなく、行為の停止により人権への負の影響が生じうることにも十分に留意すべきことを指摘しています。さらに、自社の活動が負の影響を「助長」している場合には、自社が行為を停止したとしても、第三者が負の影響が継続してしまう可能性があるため、「影響力を行使して負の影響を最大限に低減するような措置をとることも検討が必要です」と指摘しました。そのうえで「関連」がある場合に影響力があればそれを駆使し、ない場合にその際にはそれを確保・強化することで、負の影響の防止軽減に努めるなどの対応が必要であると指摘しました。

対応措置を講じた後には、それが有効か否かの評価、つまり「モニタリング」が必須となります。評価の方法・指標については、適切な質的・量的側面から判断すべきです。北村は、「例えば、ステークホルダーからの情報収集、要求された行動の実施・達成状況、再発率などによって判断します。この実効性評価のプロセスを、監査や取締役会など社内のプロセスに組み込み、次回の人権DDプロセス、あるいは人権対応の体制自体の見直しに活用していくべきです」と提言しました。

人権DDにおいては一連のプロセスの「情報開示」が重要となります。北村は「情報開示の内容は各社の判断によりますが、人権DDに関する基本的な情報や負の影響への対処方法については積極的に開示していくべきです。ホームページ、サステナビリティ報告書、CSR報告書など、対象が入手しやすい方法で、年1回以上開示することが望ましいです」としました。

また、北村は人権尊重の取り組みにおいて救済メカニズム(グリーバンスメカニズム)を構築することの重要性を説きます。「救済」は、人権尊重の取り組み全体においてステークホルダーからの声を吸い上げ、それを是正する仕組みとして位置付けられます。人権DDではリスクベースアプローチで調査対象を絞ることが想定されるため、その対象外となるステークホルダーが存在するほか、対象となったステークホルダーでも必ずしも網羅的に負の影響を特定できるものではありません。そのため、被害者または潜在的な被害者となるステークホルダーからの苦情を受け付け、是正を求めることができる仕組みの存在が、いわば車の両輪のように必要不可欠であると強調しました。

もっとも、グリーンバンスメカニズムの構築は必ずしも容易ではないため、北村は「専門家の知見を活用して仕組みを構築していくことが必要です」とし、「企業単体ではなく、業界横断的な苦情処理メカニズムも登場しており、そのようなプラットフォームを活用することも1つの手段です」と助言しました。

最後に北村は、「ステークホルダーエンゲージメント」が、人権方針の策定、人権DDの実施、グリーンバンスメカニズムの構築など人権尊重の取り組み全体を通じて極めて重要であると強調しました。企業が人権尊重の取り組みを進めていく際には、どうしても企業目線に陥りがちです。ステークホルダーや社会的弱者の意見や懸念を表明する機会と場を作り、声を吸い上げることで手続きの実質的な公平性や客観性を確保し、企業の取り組みそのものの実効性を高めることにつなげることが重要であると指摘しました。

また、北村は「ステークホルダーエンゲージメントの強化は、社会課題解決に向けて協働する積極的な姿勢のアピールにもなります」と続け、PwCは多様なプロフェッショナルの協働により、企業の人権尊重の取り組みを全面的に支援していく旨を述べました。