M&Aがうまくいかない、あるいは失敗するのはM&A取引そのものが原因ではありません。人の問題が原因です。計画されたシナジーを実現し、期待された成果を被買収企業から引き出すために、必要な行動を起こす責任は人にあります。同様に、変革を妨げる、自らの任務を放棄する、経営統合に伴うあらゆる問題の根本的原因になることに対しても、人に責任があります。M&Aにおいては、評価額の合意、デューディリジェンスの完了、法的諸条件の交渉に最優先で取り組みますが、ディール成立後に人材を共通目標の実現に向けて適切に配置しない限り、どんなにたくさんの書類を用意したとしてもほとんど意味がありません。
人材管理は幅広い領域にまたがる問題です。まず企業文化が違います。これはどんなディールにも存在しますが、特にクロスボーダーの案件では、途方もなく広範な問題となる場合があります。従業員の臆測や噂話による生産性の喪失を回避するためには、入念に練られた効果的な情報伝達が求められます。効率性の高い組織を構築する必要性はもとより、それを支える情報フローやプロセスの導入も必要です。また、経営陣と主要ポジションの人材を選定し、確保する必要もあります。自社の目標達成にのっとった施策やインセンティブを全社的に導入するとともに、人的資源のためのインフラやシステムも、自社の新たなオペレーションを機能させるために必要となります。
これらの問題について具体的に見ていきます。
企業文化の問題には速やかに対応すべきであるとの膨大なエビデンスがあるにもかかわらず、多くの経営陣が話し合いや交流を深めることで徐々に企業文化を統合できると考えています。しかし残念なことに、共通理念や価値観を声高に宣言するだけでは企業文化を統合することはできません。文化というものは人の心の中に根付いており、人は自分の視点で物事を捉え判断します。情報を伝達するにあたって、ある国の文化では受け入れられても、別の国では誤解や逆効果を引き起こすこともあります。企業文化は、ニュースレターやロゴ、ポスターで変えられるものではありません。企業文化を変えるためには、異なる行動特性や文化的な隔たり、経営戦略のサポートにつながる望ましい行動を深く理解しなければなりません。文化的固定観念を認識した上で直ちに対応し、これをマイナス要素からプラスの力に変える必要があります。
もちろん、こうした行動には二面性がありますが、全ての関係者の行動分析にこうした要素を取り入れることで、「仲間と異分子」という破壊的な勢力の浸透を防ぐことになります。ある日本企業に買収された米国企業の経営陣は、期待されたとおりの成果を出せなかったことについて問われ、こう答えています。「本社は私たちに何を期待しているのか一度も言ってくれなかったのです」。「これまでどおりに」業務を続けるよう言われたため、売り手の包括的戦略にのっとって業務を行い、売り手のプロセス、重要業績評価指標、報酬体系を継続したのでした。ただ、しかしながら、売り手が去った後、単純に従来の手法を継続してしまうと、「帆のない帆船」が残ることになります。ですから、被買収企業の懸念事項を前もって理解し、それに対応した内容を事前に準備し、効果的に伝達することが不可欠です。またクロスボーダーのディールの場合には、自国では当然のことが、必ずしも相手国ではそうではないことがあります。日本企業には明確なヒエラルキーと規範がありますが、欧米では5つの質問、すなわち誰が自分の上司か、自分の責務は何か、自分の成績の測定方法、報酬額、キャリアや昇進の機会について、明確に答える必要があります。情報が伝達されていないと、従業員は買収企業の意図について臆測を巡らすようになります。仮に従業員1,000人の企業だとして、その一人一人が自分の将来について1日のうち30分を噂話に費やすとすると、1週間につき2人年の生産性が奪われることになります。こうした情報伝達については明快かつ頻繁に行う必要があり、まずは被買収企業の従業員に入社初日にウェルカムパックを渡すことから始め、従業員の懸念事項にあらかじめ対応し、フィードバックのプロセスについて説明します。
さまざまな鶏を一緒にすると秩序が乱れて混乱や争いが起きるように、2つのマネジメントを統合すると同じような問題が起きます。そこで組織体制を新たに構築し、明快にしておくことが重要になりますが、組織図そのものは権限や権能を示しているにすぎず、役割や説明責任の所在、情報フロー、プロセスの流れ、意思決定の在り方について伝えるものではありません。こうした事柄は別途、明快にしておく必要があります。
新体制では優秀な人材が必要となりますが、有能な人材の選定は、ディールが完了する前から始める必要があります。最も大きな危険でありながら最も一般的な過ちは、自分が知っている人材を優遇することや、それぞれの旧組織の間で公平にポジションを分けようとすることです。経営陣を分析するときは、能力を見るだけではなく、その経営スタイルや適合性も判断材料にしなければなりません。この点に関して日本企業は、海外の被買収企業への経営陣の派遣にあたって同じジレンマに陥ります。というのも多くが人材の選定にあたって、日本人であることや本社の情報源になり得ることを唯一の判断材料にしているからです。現地の経営陣のように役割や責任が明確になっていないと混乱や疲弊を招きます。ですから役割を明確に定義した上で、それを伝えることが必要となります。
主要経営陣は何をおいても自社の成功に不可欠であり、残留してもらう必要があります。こうした主要経営陣の特定はデューディリジェンスの段階で開始し、適切なリテンションパッケージを提示します。多くの場合、主要経営陣を特定する最善の方法は、トップダウンのカスケード方式です。なぜなら経営者は自分の片腕として必要な人材が誰かわかっているからです。
リテンションパッケージは通常一括払いで、一回限りとします。パフォーマンスについては、入念に設計され、包括的経営戦略に合致した重要業績評価指標と報酬体系に従って報酬が支払われることになりますが、過去と同じ評価基準を継承するということは選択肢としてほぼありません。多くの場合、過去の制度を継承することは現実的ではなく、そうした制度は新たに作り替える必要があります。
従業員給付制度を新たに作り替えることは複雑なプロセスで、細部までおろそかにすることはできません。デューディリジェンスの段階では、作り替える必要がある給付制度を特定できるだけの情報を十分に入手することはないのですが、DAの締結からディールのクローズまでの間に優先的にこれに取り組む必要があります。自分にとっては大したことではなくても、オーナーシップの変更によって、昼食券のようなささやかな支給がなくなった場合、それは当人にとっては大きな懸念であり、そこからさらに不安や否定的な見方を生むことになります。
作り替える必要があるのは給付制度だけではありません。
人事方針、評価制度やそれに付随するインフラも替えなければなりません。オーナーシップの変更後に従業員への支払いが滞れば、企業にとっての終わりの始まりとなります。
これまでに述べた内容は全て途方もない試練を示していますが、最初から入念に計画し、人材の問題を注視し、適切に情報を伝達すれば大きな成果を上げることができます。
結局のところ、貴社が買収した企業の従業員は、売却された企業の従業員でもあるわけです。その従業員が貴社の明日を左右するのと同じように、貴社はその従業員の明日を決めるのです。計画を立て、情報を伝達し、一貫して戦略を遂行すれば、期待どおりの成果を上げることになります。