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ILO駐日事務所
プログラムオフィサー 渉外・労働基準専門官
田中 竜介氏
PwC弁護士法人 代表
北村 導人
SDGsの道しるべ
パートナーシップで切り拓くサステナブルな未来
SDGs達成に向けた取り組みは、人類全体が進むべき道を探りながら歩んでいく長い旅路です。持続可能な成長を実現するためには、多くの企業や組織、個人が連携しながら変革を起こしていく必要があります。対談シリーズ「SDGsの道しるべ」では、PwC Japanのプロフェッショナルと各界の有識者やパイオニアが、SDGsの17の目標それぞれの現状と課題を語り合い、ともに目指すサステナブルな未来への道のりを探っていきます。
2011年に国連で「『ビジネスと人権』に関する指導原則」(以下、「指導原則」)が採択されて以降、人権尊重の取り組みを企業に求める法規制が欧州を中心に広がっています。日本でも2020年に「ビジネスと人権に関する行動計画」(National Action Plan =NAP)が策定されました。2022年には、日本政府により「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下、「政府ガイドライン」)の策定が進められており、人権に対する企業の意識はますます高まっています。
今回、国際労働機関(ILO)駐日事務所のプログラムオフィサーで、NAPや「政府ガイドライン」の策定にも委員として関わってこられている田中竜介氏をお迎えし、PwC弁護士法人代表の北村導人とともに、企業の人権尊重への取り組みのいま、そしてこれからについて議論を交わしました。
北村:
国際労働機関(ILO)は、労働者の人権保護、そして「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)の実現に向けて政策やプログラムを推進する「政府・労働者・使用者」の三者構成機関であり、企業、ステークホルダー、社会に対して大きな影響力を有しているものと理解しています。田中さんはILO駐日事務所のプログラムオフィサーとしてさまざまなステークホルダーと継続的に対話をされてきていると思います。田中さんのご経験やお立場から、企業をはじめとするステークホルダーにおける「ビジネスと人権」に対する意識や関心の変化をどのようにとらえていますか。
田中:
人権尊重の取り組みを企業に求める動きは古く、国連の「指導原則」に先行して、いくつか国際的な指針が出されています。多国籍企業による途上国での搾取的労働や児童労働といった人権侵害が1960年代ころから問題視されるようになったことを受け、OECD(経済協力開発機構)が「多国籍企業行動指針」を1976年に、ILOが「多国籍企業宣言」を1977年にそれぞれ採択しました1。いずれも、法的拘束力を伴わないという意味で“ソフトロー”と呼べるものでした。
その後、多国籍企業の行動に対して法的拘束力をもつ“ハードロー”、すなわち条約を策定すべきとの声が国連で高まりましたが、これには企業側が難色を示しました。そのような背景の下、ジョン・ラギー氏がさまざまなステークホルダーとの対話の上で調整し取りまとめた結果として採択されたのが、2011年の「指導原則」だったのです。企業に対する強制力こそありませんが、「指導原則」が事実上のグローバルスタンダードになりました。
北村:
「指導原則」の策定は、法的拘束力はないものの国際規範として「ビジネスと人権」に関する共通のプラットフォームを提供したということで非常に重要な意義のあるものです。もっとも、昨今の「ビジネスと人権」への関心の高まりとは異なり、「指導原則」が策定された2011年頃は、企業による人権尊重の重要性について、国際社会全体にはいまだ深く認識・理解されていなかったように思います。
田中:
私もそう思います。国際世論の流れが変わったきっかけの一つは2013年にバングラデシュで起きた縫製工場の崩壊事故で、主に先進国で売られていた手頃価格の洋服がサプライチェーンの先の劣悪な労働条件のもとで作られていたことが明らかとなり、企業にサプライチェーン全体での人権尊重を促す国際世論が高まったと思います。企業自身がCode of conduct(行動指針)などを定めて人権尊重を自社とサプライチェーンで促進し、投資家や市民社会も積極的に企業に働きかけを行いました。
そうした社会要請の高まりも受け、欧米各国が「指導原則」の具体化、特に各国でのNAPの策定を開始しました。また、法規制の導入も進み、「カリフォルニア州サプライチェーン透明法」(米国・2012年)、「現代奴隷法」(英国・2015年)、「企業注意義務法」(フランス・2017年)などが施行されており、ドイツでも2023年1月から「サプライチェーンDD法」の施行が予定されています。EU(欧州連合)では、2022年2月に「コーポレート・サステナビリティ・デューディリジェンス指令案」が公表され、欧州議会の承認後、各国における人権デュー・ディリジェンス(DD)の実施・情報開示を含む企業における人権尊重の取り組みを義務付ける法制化の準備が進められています。
北村:
「ビジネスと人権」に関する問題意識は1960年代から提起されていたにもかかわらず、長きにわたり企業における人権尊重の義務化・ルール化が進まなかったのは、従前は、企業に対する社会からの要請が今ほど強いものではなく、企業側も自由な経済競争のなかで効率化(低コスト化)を優先させ、人権尊重を優先度の高い経営課題と認識していなかったということにあるのでしょう。その流れが、2011年に「指導原則」が策定され、そして具体的な痛ましい事故を目の当たりにすることで、大きく変化し、ステークホルダーを含む社会が企業の人権尊重責任に正面から焦点を当て、NAPや法制化の波につながっているのですね。
田中:
はい。さらに、2015年に「持続可能な開発目標」(SDGs)が国連で採択され、持続可能性の実現に向けた議論の中でジェンダー平等や児童労働・強制労働といった社会課題が取り上げられ、ステークホルダーが企業の人権尊重責任に向ける視線が強くなったと感じています。また、環太平洋経済連携協定(TPP)でも労働者の権利に関する規定が設けられるなど、日本が締結する貿易投資協定においても企業の人権尊重が求められるようになっており、企業側でも「人権対応は競争力を左右する経営課題である」との認識が徐々に浸透しつつあると感じています。
北村:
おっしゃるとおり、2015年の国連のSDGsの採択により企業の意識が変化し、近年では、さらに社会、投資家およびステークホルダーの企業に対する人権尊重の期待・要請が高まっていることを感じます。また、貿易投資協定のみならず、輸入規制等の貿易措置との関係でも企業は喫緊の対応を求められています。このような環境下で、企業が競争力のあるサステナブル(持続可能)な経営を実現するためには、「人権尊重」を経営の重要な課題として認識することが必要不可欠であると感じます。企業、特に経営陣においては、各国の法規制に対処するというコンプライアンスの目的に留まらず、人権尊重の取り組みによりディーセント・ワークを実現し、企業経営、ひいては社会にポジティブな影響・効果をもたらすという意識の変革が必要になってきていると感じています。
田中:
ソフトローからハードローへの流れが示すように、企業の人権尊重責任への社会的期待は確実に高まっています。企業は、既存の法令遵守から一歩進んで、グローバル社会の一構成員として、変化していく社会からの期待を能動的に把握していくことが必要になります。また人権尊重を自社だけでなく他社に働きかけていくことで人権侵害のない強靭なサプライチェーンを構築することができるはずです。社会課題や人権尊重を、他者との協力の上で能動的に進めていく取り組みが定着すれば、社会からの信頼獲得につながり、次世代まで事業を継続させていく力になっていくのではないでしょうか。
北村:
日本企業はこれまでも、コンプライアンスの観点から国内外の労働法規の遵守に対応してきました。しかしながら、「指導原則」やILOの国際労働基準などの国際規範では、国内法令で求められる人権保護基準よりも高い水準での人権尊重が求められています。法の支配が不十分な国・地域も存在することから、まさに国内法と国際規範との間のギャップ(ガバナンスギャップ)を埋めていくのが「指導原則」に基づく人権尊重の取り組みであると理解しております。もっとも、実務的には、各国における人権に対する意識や考え方等に差異があるため、各国の国内法令で求められる基準以上の人権保護を図っていくことが容易ではない場面に企業が直面することは少なくないというのが現実です。このような場面において企業はどのように対応していくべきでしょうか。
田中:
指導原則は、ガバナンスギャップがある場合、国際的に認められた人権の諸原則を「状況に応じて最大限」尊重すべきとしています。現地法が差別を許容していたり、現地の法執行機関が機能不全になっていたり、企業にとって難しい状況が存在することが報告されています。まずは国際基準が何を求めているか、誰のどのような人権を、どのような場面で、どのように保護しようとしているかをしっかりと把握して行動することが求められます。例えば、一口に「強制労働」といってもさまざまな形態があり、債務返済のために労働を行っていたり、脆弱な立場に乗じて長時間労働を強いたりすることも強制労働にあたり得ます。現地の制度に従う上で困難があったとしても、働く個人に着目し、ひとりひとりに職業選択の自由があり、安全で健康的な労働環境で仕事を得るという人権があることを念頭に置く必要があります。
さらに、OECDやILOの文書によると、企業は人権への負の影響を最小化することのみならず、事業を行う国や地域の発展に最大限貢献することが期待されています。自社とつながって働く労働者ひとりひとりに、より良い雇用条件や技能を提供することによって、その国の産業が発展してサプライチェーンからの安定した生産供給が行われ、また現地国の経済成長と人々の豊かな暮らしにつながっていきます。現地国および現地国の労働者と外国企業はWin-Winの関係にある、またはあるべきなのです。
大切なのは「現地国の社会やステークホルダーの要請・期待に企業がどれだけ応えられるか」ということです。そこで現地の事情をよく知っている専門家の力を借りながら、「現地国のステークホルダーとのエンゲージメント(対話・協働)」を丁寧に行い、何が求められているかを明確化したうえで、お互いがWin-Winになれる目標を共有化していくとよいと思います。
北村:
企業としては、国際規範で何が求められているのかを認識・理解しながらも、現地のステークホルダーや専門家とのエンゲージメントを通じて、国内法令の規制を越えて、国際規範の遵守にどのように向き合っていくかを見極めていくこと、ひいては現地国の社会及び労働者をはじめとするステークホルダーとのWin-Winの関係を築く目標の共有化を図っていくことが重要であると認識しました。
「指導原則」は、人権を尊重する企業の責任として、国際的に認められた人権の諸原則をベースに、主に「人権方針の策定」「人権DDの実施」「グリーバンスメカニズム(救済の仕組み)の構築」を求めていますが、これらのアクションを有効に機能させ、高度化していく際にも「ステークホルダーとのエンゲージメント」は極めて重要であり、必要不可欠となるものと考えています。企業が人権尊重のために取り組むアクションについて最初から完璧に対応することは難しくとも、現地国の政府、市民社会、労働者などさまざまなステークホルダーとの対話を通して人権課題や人権尊重の取組内容に対する期待をくみ取り、その課題の解消や期待・目標に向けて、その取組内容の水準を国際規範が求める水準に着実に引き上げていく努力を継続することが肝要であると思います。
田中:
おっしゃるとおりです。ただ、人権尊重のアクションについて、多くの日本企業はまだ様子見というのか、踏み込んだ対応はできていないようにも見受けられます。
経済産業省と外務省の共同調査(「日本企業のサプライチェーンにおける人権に関する取組状況のアンケート調査」2021年)によると、回答企業(旧東証一部・二部上場企業760社/対象2786社)の約7割が人権方針を策定し、5割強が人権DDを実施しているものの、外部ステークホルダーの関与(エンゲージメント)は3割にとどまります。
会社として人権尊重へのコミットメントを発信し、人権DDによる「負の影響」の調査も始めている。しかしそこから先、ステークホルダーとのエンゲージメントで何をやればよいのか分からない──日本企業の現況の一面が現れた結果と受け取れます。ただ、この数字も企業が人権DDやエンゲージメントの詳細を理解した上で取り組んでいることを示しているか、より深い検証が求められるように思います。
北村:
日本企業の現況は、ご指摘いただいたところにあるとまさに肌で感じております。人権DDを遂行する企業の多くが、現状では自社グループや直接の取引先を中心に人権DDのプロセスを進めていますが、近い将来、バリューチェーンを広く対象とした人権DDを遂行していくことになります。その際には、例えば、直接契約関係等がない二次以降の取引先にどうアクセスし、どのように協力を求めるかという実務上の問題に直面します。このような場面で重要になってくる取り組みの一つが、サプライヤー、従業員、地域住民等のステークホルダーとのエンゲージメントであると考えております。しかしながら、多くの日本企業は、このようなステークホルダーとのエンゲージメントが十分に行われていない、またはどのように対応すればよいのか分からない、あるいはエンゲージメントの内容が人権尊重の取り組みに十分に反映されていない等の課題を抱えている状況であり、このような状況を打開するための後押しをしていくのがわれわれ専門家の役割でもあると考えています。
田中:
そうですね、サプライチェーンにおける人権課題の把握は多くの難しさをはらんでいますが、ステークホルダーとのエンゲージメントを通じて、バリューチェーンやサプライチェーン上にどのような人権課題が存在するのかを認識することが、対応の第一歩とも言えます。労働者との関係では、原材料、生産加工、製造、組立、梱包、物流、販売、カスタマーサービスといった過程で、どのような労働者がどのような働き方で関わっているか、それぞれの過程における労働課題の背景にはどういった社会事情があるか、多角的に情報収集を行うことが求められます。国内外問わず、公的な制度によって把握されていないインフォーマル経済や非正規移民による労働も存在しており、そこで起こる過酷な労働実態に企業が関係している例も報告されています。繊維製品の委託加工過程が個人内職に出され、低賃金や児童労働を誘発するケースなどがあります。
このような実態の把握について、サプライチェーンを下流から遡っていく方法だけでは限界があることが指摘されています。現地政府や公的機関、労働組合やNGOが持っている情報を頼りに発見していくことが企業には期待されていて、ステークホルダーと普段から継続的にエンゲージメントを行うことが、早期に警戒すべき情報を得ていくことにつながっていきます。
また、自社またはそのサプライチェーンにおいて国際基準に反するような実態が把握された場合、直ちに関係を遮断するのではなく、ステークホルダーと改善に向けて協力していくことが必要です。なぜなら、インフォーマル経済ではフォーマルな経済との取引関係が断絶してしまうと改善の手段がなくなってしまい、さらにインフォーマルな手段に頼らないと存続できなくなってしまうからです。社会から「見えなく」なってしまうと公的な救済手段やセーフティーネットも働きません。そのような状況を作らないため、脆弱な人々を公的なセーフティーネットから断絶させないためにも、ステークホルダーとの密なエンゲージメントが重要と世界的に指摘されています。
北村:
人権課題に適切に対処するには、ステークホルダーとの継続的なエンゲージを通じて、的確な現状把握と人権への負の影響を最小化するという観点からの現実的な対応を模索する必要があると理解しました。
少しスペシフィックな質問になりますが、ステークホルダーの中には、日本国内のサプライチェーンにおける人権課題として指摘されている「外国人技能実習制度」で働いている外国人技能実習生を含む外国人労働者の問題があります。特に外国人技能実習生に関する人権課題については、社会の関心も非常に高いところですが、企業としてはどのように対応すべきでしょうか。
田中:
外国人技能実習生に関する課題は、日本国内の企業とサプライチェーンにおける課題である一方で、国境をまたぐ制度上の課題でもあります。外国人技能実習生の日本での労働環境や生活環境の不備のほか、送出国でのリクルート過程での費用・手数料等が労働者によって負担され、借金を負って働く債務労働を招くなど、送出・受入双方で問題があります。特にリクルート費用の労働者負担は、ILO条約上で禁止されており、グローバルスタンダードの求める基準と実務に乖離があります。このような構造的課題がある場合、企業単体で改善できることには限界があるように思いますので、送出国や関連団体とのエンゲージメントを深めていくことが必要と思います。また、実習生の労働条件や技能構築過程を送出国における募集から実習終了まで一貫して見える化するために、デジタルやITの力を活用することについても現実的に検討する必要があると考えています。
北村:
人権課題への対応を「実」のあるものにするには、先行する他社に倣って「形」だけを整えても意味はありません。企業のマネジメント層が「なぜ今、自社が人権尊重に取り組まなければならないのか」を十分に納得したうえで、その取り組みを推進していくことにコミットすることがやはり重要です。そのためにも、わたしたちは十分な時間をかけて企業のコミットメントである人権方針の策定をサポートしています。
具体的には、まずは、企業のマネジメント層に対する教育・啓蒙活動を行い、経営陣に「なぜ」取り組む必要があるのかという点について議論する場を設けるようにしています。「なぜ」が理解されなければ、「実」のある対応にならないからです。その上で、企業のバリューチェーン上でステークホルダーにどのような人権課題が存在するのか、いずれの課題を優先的に取り組むべきかという点について、関係部署やステークホルダーにヒアリングし、ディスカッションを行い、双方の観点からの認識のすり合わせをしています。このようなプロセスを経て、サプライチェーン全体で優先的に取り組むべき人権課題を明確化し、それに責任を持って対応することを「人権方針」として表明します。こうした「実」のある人権方針及び当該方針に基づく具体的な取り組みの遂行があって初めて、サステナブルな経営実現のための意義のある人権課題への対応につながるのだと考えています。
田中:
北村さんからそのようなお話を伺い、心強く思います。一方で、やはり、人権課題への対応を「コスト」や単なる「リスクマネジメント」ととらえている企業も多いかと思います。指導原則でいう「リスク」は「企業側の経営リスク」ではなく、「人々の人権に対して負の影響を与えるリスク」、つまり「人権を侵害される側のリスク」ですが、必ずしも正しい理解が得られていないように思います。
北村:
ご指摘のとおりです。実際に、私たちが企業のみなさまと人権対応のお話をする際にも、「人権リスク」の正しい理解から説くことが多いです。どうしても企業は自社のビジネスにとってのリスク、そのリスクをマネージするという考えから入ってしまいます。人権リスクを放置すればビジネスリスクにつながることは間違いないのですが、まずは「人権リスク」は「人権を侵害される側のリスク」であること、企業にとってのリスクが小さくても、ライツホルダーにとって人権の負の影響を受けるリスクが大きければ、優先的にその影響の最小化を図るための対応をしなければならないということを正しく理解していただくように、説明しています。
また、人権尊重への企業の取り組みは、「コスト」や「リスクマネジメント」にとどまらず、最終的には企業自体のサステナビリティ(持続可能性)につながる話です。サプライチェーンの安定化による「生産面への好影響」、ブランド価値の向上による「販売面への好影響」、人権意識の高い若年世代の採用や、働く人のモチベーション高揚につながる「人材面での好影響」――“コスト”とは逆のプラス方向の効果について、経営層の理解を後押ししていきたいと思っています。
田中:
指導原則が、人権に及ぼす負の影響を特定・予防・軽減・是正することを目的としていることに立ち返ると、人権に対する「負の影響の最小化」が最優先課題です。他方で、より踏み込んだ「ポジティブインパクト=正の影響の最大化」2の重要性を企業の経営陣の方々に理解していただくことも極めて重要で、そのことが人権尊重への取り組みをさらに推し進めることにつながります。
グローバルサプライチェーンにおいて企業と現地国の労働者がWin-Winの関係を構築している例をご紹介します。2011年にタイで大規模な洪水がありました。日本メーカーのサプライチェーンに影響が及び、製造業全体の生産水準が落ち込みました。そのとき、現地労働者の解雇に踏み切らざるを得なかった企業があった一方で、普段から長期目線で生産計画を共有し労働者との目標共有を図っていた企業では、工場の操業停止中も一時支給金や給与保証などを実施し、現地の従業員を確保したことで生産設備の早期復旧につながったケースもあったのです。
労働者との対話の上で生産性向上を行うことは、労働条件の向上と企業の持続可能性促進につながることですが、何よりも協調的対話を行い職場を変えていくこと自体が団結権・団体交渉権の保障と実践と言えるのです3。さらに企業が質の良い雇用を生み出し、維持することは、当該国の人々の生活原資を賄うほか、税金を通じて社会構築の原資にもなり、購買と経済循環を促し、技能構築による産業の底上げを推進するなど、その国の経済的社会的発展につながっていきます。企業と労働者がWin-Winの関係でそれぞれがオーナーシップをもって企業の成長と労働条件の向上を図っていくことは、現地での社会的信頼につながり、結果として企業の持続可能性を促進します4。
北村:
タイの事例で示していただいたとおり、企業が労働者との間で継続的なエンゲージメントを行い、Win-Winを意識した関係構築を図っていくことが非常に重要であると思います。労働者をはじめとするステークホルダーとのエンゲージメントを通じた人権尊重の取り組みが、企業と労働者、そして社会との信頼関係構築につながり、ひいてはサステナブルな企業経営の実現の大きな推進力になっていくものと認識しました。
人権尊重の取り組みにより、人権課題の「マイナスをゼロにする」だけにとどまらず、「ゼロからさらにプラスにする」──そうしたポジティブインパクトを踏まえると、単にゼロにするための“やらされている感”だけで人権対応に取り組むのは、企業経営にとっていわば価値向上の機会を見逃すことに等しいといっても過言ではないのでしょう。
(※後編に続く)
1 国連指導原則、OECD多国籍企業行動指針、ILO多国籍企業宣言の関係について、参照:OHCHR・OECD・ILO・EU「責任あるビジネス 国際的文書による主要メッセージ」(2020年)
https://www.ilo.org/tokyo/information/publications/WCMS_746883/lang--fr/index.htm
2 企業活動の持続可能な開発や社会経済的発展に及ぼすポジティブな影響を最大化することは、ILO多国籍企業宣言とOECD多国籍企業行動指針の目的となっている(ILO多国籍企業宣言1,2項、OECD多国籍企業行動指針II-A-1)
3 ILO多国籍企業宣言10項(e)
4 ILO多国籍企業宣言11項
慶應義塾大学卒。米ニューヨーク大学ロースクールLL.M.。弁護士業務を経て、2016年より現職。現在、SDGsやビジネスと人権等の文脈において国際労働基準の普及活動に従事、日本の政労使団体や諸国大使館との連絡窓口の役割も担う。
弁護士、公認会計士。慶応義塾大学卒、米ニューヨーク大学ロースクールLL.M.。大手監査法人や大手法律事務所などを経て、2016年にPwC弁護士法人入所。2020年より代表。幅広い法分野を専門とするが、近時は、ESG/サステナビリティ関連法務、特に「ビジネスと人権」に関する企業の取り組み支援に注力している。
※ 法人名、役職、本文の内容などは掲載当時のものです。
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