2023-01-18
近年のDX(Digital Transformation)の進展に伴ってIT人材が不足しており、多くの企業にとってリスキリングによるIT人材の育成が急務の課題1となっています。そこでPwCでは、自然言語処理や数理最適化といったアナリティクス技術を活用し、個人・組織全体のテクニカルスキル保有状況を把握することで効率的なリスキリング支援を行うツールを開発しました。
多くの組織が一斉にDX化の波に乗って変革を推し進める中、その役割を担うIT人材の圧倒的な供給不足から1、近年はリスキリングの重要性が特に注目されています。
リスキリングとは、2021年2月に経済産業省が開催した「第2回 デジタル時代の人材政策に関する検討会」において、“新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること”と定義されています。
ここで「必要とされるスキルの大幅な変化に適応するため」とありますが、特にDX化による企業変革は、企業が従業員に求めるスキルの変化にもつながっています。企業側が従業員をリスキリングしなければ、外部から雇用してスキル不足を解消する必要があります。また従業員側にしても積極的にリスキリングしなければ、企業から解雇される可能性があり、大量の失業者が生まれることになります。実際に、IT人材は世界的に不足していることもあり、企業側が求めるスキルを既に持っている人材を確保することは難しくなっています。未来を見据えて早い段階から従業員のリスキリングに投資することが、企業にとっての急務の課題といえます。
また、テクノロジー領域では、今できないことが明日には可能になるくらい流行の変動が激しいため、企業側が従業員に対して1回きりの学習を提供することをリスキリングのゴールにすることは危険です。
企業がリスキリングの定着を実現させるためには、従業員自身が自己の目標とのスキルギャップを把握して自発的にスキルを補い、キャリアプランを上司らとともに組み立てることが重要だとPwCは考えています。同時に、企業側も従業員に学んだ内容を実践できる場を提供し、自己のスキルギャップから成長を振り返り、再計画を立てるというサイクルを回す環境を用意することが求められると考えています。
しかし、多くの企業はそれぞれ課題を抱えており、このリスキリングを実現させるサイクルを上手く回すことができていません。そこでPwCではこれらの課題を解決するために、スキルを可視化するなどして現状を把握・モニタリングし、適切なリスキリング計画を立て、必要なラーニングや案件候補を検索できる「リスキリング支援ツール」を開発しました(図1)。本稿では、この「リスキリング支援ツール」を中心に、スキルの可視化に利用可能なアナリティクス技術や利用事例についてご紹介します。
スキルを可視化するアプローチとして、従業員一人ひとりにチェック形式の評価シートを配布し、従業員が自ら記入する形で評価する方法が従来から知られています。このような評価シートは評価項目の定義が明確で分かりやすい一方で、手作業で評価する従業員の負担が大きいといった課題があります。加えて、特にテクノロジーなどの変化の激しい領域では、評価シート自体を最新技術に対応させるために頻繁に更新すべきですが、評価シートを都度見直していく運用には多大な労力が必要になります。
こうした課題へのアプローチとして、PwCではさまざまなプロジェクトで培った経験やアナリティクス技術を活用し、スキルシートに記載された文章から所有スキルを可視化するツールを開発しました。このツールにより、従業員一人ひとりが評価項目をチェック形式で評価する必要がなくなり、定期的なスキルの再評価も容易になりました。また、スキルを得点化するにあたっては、機械学習や数理最適化などを活用してデータドリブンなアプローチをとることで、社会情勢やニーズに合わせた可視化が容易になりました。
アナリティクス技術を活用してスキルを可視化するにあたっては、「所有スキル判定」と「スキルレベルの測定」というアプローチを採用しています(図2)。
「所有スキル判定」では、自然言語処理のパターンマッチング技術を活用することで、所有するスキルを判定します。スキルシートに記載された文章からスキルを示す用語を抽出するためには、スキルに関する膨大な量の用語を登録した辞書を準備する必要があり、名寄せ、類義語、熟語などを踏まえた整備が非常に重要になります。その点、PwCではさまざまなデータソースからテクニカルスキルに関する膨大な量の用語を抽出し、辞書の整備、開発を進めています。
「スキルレベルの測定」では、数理最適化や機械学習により事前に算出したスキルに関する用語の得点一覧表(得点マスタ)を用いることで、スキルシートから抽出したスキルに得点を与えてレベルを測定します。得点マスタにおける各スキルのスコアは、広く一般的であったり、誰もが保有することができたりするスキルに関しては低く、逆に市場や組織において重要であったり、ユニークであったりするスキルには高くなるように設定されています。この値を設定する際には、数理最適化や機械学習の技術を活用しています。
特に数理最適化においては、サンプルデータ数が少ない場合でも複数の条件設定下において最適な解を得ることが可能という利点があります。企業が個社独自の評価指標をスコアに反映させたい場合、機械学習によるアプローチにおいては明確な条件設定が必要です。また、膨大なデータによって傾向やパターンを見つけ出すため、企業には分析に必要なデータ量を確保することが求められます。そのため、サンプルデータ数を十分に集められないケースでは、数理最適化による手法で個社独自にカスタマイズされた得点マスタを作成することが有効になります。
このように、得点マスタの作成・更新にアナリティクス技術を活用することにより、激しい技術革新の状況を得点としてスキルレベルの測定に反映させることが比較的容易にできるようになります。また、企業によってスキルレベルの定義や、重要視するスキルは異なると想定されますが、以下の事例のように得点マスタを企業ごとにカスタマイズすることが可能です。
PwCでは、現在保有するテクニカルスキルをアナリティクス技術の活用により把握する仕組みが、クライアントが個人および組織のリスキリングを計画・実行していくための新たな定量的指標になると考えています。そして実際に以下の事例のように、社内におけるリスキリングを検討しているさまざまなクライアントをこの指標を利用することで支援しています。
あるクライアントに対しては、個人が既に所有しているスキルと今後習得したいスキルを元に、最適な案件先をレコメンドするツールを開発しました。このツールでは、2章に記載した保有スキルを判定する自然言語処理と機械学習によるスキルレベルの測定技術を活用し、クライアントが保持していたビッグデータを利用して、スキルシートを読み込ませることで従業員の現在のスキルレベルを数値化し、目標とする職種に求められるスキルとのギャップを可視化する仕組みを実装しました。これにより、現在のスキルレベルと習得したいスキルを基に関連のある案件候補を表示することで、希望するキャリアパスに必要な経験を積むことができるようになりました。
また別のクライアントとは、業界や業務内容によって重視するテクニカルスキルが異なることを踏まえ、クライアント別に、より肌感覚に合ったスキル得点マスタを設定する取り組みを実施しました。既存のスキル評価の得点マスタを基にクライアントの事情に合わせたマスタを整備するため、数理最適化を用いてスキル得点マスタのチューニングを行いました。これを実施することで、各社それぞれが重視するスキルにより高い得点を付けることが可能になり、肌感覚に近い数値でスキルレベルを表示できるようになりました。
このリスキリング支援ツールはPwC社内にも導入されています。組織側は所属部署ごとにフォーカススキルを設定し、ツールによってメンバーのスキルを可視化することで、組織全体の育成プランの策定およびモニタリング、プロジェクト開始時のアサインメント、採用活動に役立てています。また、組織全体と自身のスキルレベルを視覚的に比較することも可能なため、従業員側は「組織のフォーカスエリア」「自身の弱み/強み」という2軸で自己学習プランを設計することができます。現状のスキルに合わせて学習コンテンツをリコメンドしてくれる機能も搭載されており、自律的なキャリア形成およびリスキリングの促進に大きく寄与しています。
本稿では、企業におけるリスキリングの重要性のほか、テクニカルスキルを可視化することで従業員個人および組織のスキル保有状況を把握する「リスキリング支援ツール」について解説しました。また、学習したスキルを定着させていくためには、実践の場でスキルを発揮し続ける環境を用意することが重要であることにも触れました。本稿では詳細は割愛しましたが、PwCではリスキリング支援ツールだけでなく、従業員自身が実践の場で自走していくための「伴走型AI人材育成プログラム」2も提供しています。
PwCではテクニカルスキルだけでなく、長年において適性診断で測定されるソフトスキルにおけるワークスタイル分析など、アナリティクスを活用した人事領域の支援にも取り組んでいます。テクニカルスキルとソフトスキルの両面からデータが取得できるようになったことから、人事領域においてより細やかな分析が可能になると考えています。
リスキリングはテクノロジーによるオートメーション化により、人間の雇用が失われる技術的失業という社会課題を防ぐ解決策の1つとして期待されています。「社会における信頼を構築し、重要な課題を解決する」をPurpose(存在意義)とする私たちPwCが部門を超えて取り組む「アナリティクスを活用したテクニカルスキルの可視化」が、VUCA時代において個人および企業が未来に生き残る人材戦略の一助となることを願っています。
1. 経産省2019年「IT人材需要に関する調査」
https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/jinzai/houkokusyo.pdf
2. 伴走型AI人材育成プログラム
https://www.pwc.com/jp/ja/services/consulting/analytics/personnel-development.html
K. Tateno
Data&Analyticsチーム所属。機械学習や可視化を活用した新規ビジネス企画構想や業務改善、経営・推進層のDX研修デザインなど、データ利活用を支援するコンサルティング業務に幅広く従事。
M. Nakamoto
People Transformationチーム所属。組織・人事コンサルタントとして、これまでデジタル人財育成、PMI、働き方改革などのプロジェクトに携わる。デジタル技術を活用した組織・人事課題の解決を支援。
W. Bando
Data&Analyticsチーム所属。製薬、金融、官公庁などさまざまな業界におけるAIやデータの利活用に関する市場調査、業務改革支援、分析PoCなどのプロジェクトに従事。
PwC Japanグループでは、データアナリティクス領域でご活躍いただける方を募集しています。本記事に関連する求人情報は以下ページよりご覧ください。
(1):テック人材の採用と維持における企業の課題
(2):フィーチャーエンジニアリングとは?
(3):SNSを活用したコロナ禍における人々の心理的変化の洞察
(4):自然言語処理(NLP)の基礎
(5):今、データサイエンティストに求められるスキルは何か?データサイエンティスト求人動向分析
(6):コロナ禍における人流および不動産地価変化による実体経済への影響
(7):「匠」の減少―技能継承におけるAI活用の道しるべ
(8):開示された企業情報におけるESGリスクと財務インパクトの関係性の特定
(9):ビッグデータ分析で特に重要な「非構造化データ」における「コンピュータービジョン(画像解析)」とは
(10):自然言語処理・数理最適化による効率的なリスキリングの支援
(11):スポーツアナリティクスの黎明 サッカーにおけるデータ分析
(12):AIを活用した価格設定支援モデルの検討―外部環境変化に即座に対応可能な次世代型プライシング
(13):MLOps実現に向けて抑えるべきポイントー最前線
(14):合成データにより加速するデータ利活用
(1):ブロックチェーン技術の成熟度モデルとステーブルコインの最新動向について
(2):3次元空間情報の研究施設「Technology Laboratory」のデジタルツイン構築とデータの管理方法
(3):3次元空間情報の研究施設「Technology Laboratory」における共通ID「空間ID」と自律移動体の測位技術
(4):G7群馬高崎デジタル・技術大臣会合における空間IDによるドローン運航管理
(1):COVID‐19パンデミック下のオンプレミス環境におけるMLOpsプラクティス
(2):機械学習を用いたデータ分析
(3):AWSで構築したIoTプラットフォームのPoC環境をGCPに移行する方法
(4):テクノロジーの社会実装を高速に検証するPwCの独自手法「Social Implementation Sprint Service」-テクノロジー最前線
(5):自動車業界におけるデジタルコックピットの擬人化とインパクト
(6):成熟度の高いバーチャルリアリティ(VR)システム構築理論の紹介
(7):イノベーションの実現を加速する「BXT Works」とは
(8):Power Platformの承認機能、AI Builderを活用して業務アプリを開発する方
(9):社会課題の解決をもたらす先端テクノロジーとディサビリティ インクルージョンの可能性